オーストラリア辞典
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Moonta

ムーンタ


南オーストラリア中南西部の町、アデレイドの北西167キロに位置する。
人口:2,898(1996)、1,924(1981)、1,570(1971)、1,702(1966)、1,151(1961)、3,772(1911)、1,418(1881)、1,731(1876)。


 ノーザン・ヨーク・ペニンシュラ郡にある町であり、その名前は「分け入ることのできない密林」を意味するアボリジナルの言葉に由来する。白人による入植以前は、先住民Narrunggaの居住地であった。ムーンタはスペンサー湾の東岸に位置し、1861年に豊富な銅の鉱床が発見されて発展した。鉱夫たちは主にイギリスのコーンウォール出身であり、ムーンタの町の古い建物にはコーンウォール独特の特徴がある。ここの銅鉱石は約20%の銅含有率を誇り、牧場の所有者であったウォルター・ヒューズが始めたムーンタ鉱山は、100万ポンドの配当を支払うことができたと言われている。1862年から1863年にかけてタウンは測量され、命名された。コーンウォール・ホテルやロイアル・ホテル、郵便局や電報局が1860年代以来運営されており、1860年代の鉱夫のコテージも残っている。1865年にはおよそ1,200人収容可能なウエズリー派のメソジストの教会が建造された。オール・セインツ・アングリカン教会が1873年に建設され、1875年には南オーストラリア最古のフリーメーソンのホールが建てられた。14棟のメソジストの教会が1870年代に建てられ、1875年にこの地の人口はおよそ12,000人になり、オーストラリア第2の町になった。1878年には鉄道が開通し、1891年には以前バプティスト派の教会があった場所にマインズ・スクールが開校し、1903年には一時1,000人の生徒を抱えていた。主要な銅山は1923年に銅の価格の暴落と労働賃金の上昇のため閉山された。しかし、銅の採掘は町の経済にとってその後も重要であった。またムーンタは漁港でもあり、観光リゾートとしても利用されている。周辺の農地では小麦や大麦の栽培が盛んである。多くの歴史的建造物が保存されており、銅山跡の見学も可能である。鉱山博物館も一見の価値がある。

 見国祐也0701