オーストラリア辞典
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Mount Isa

マウント・アイザ


クィーンズランド中西部、ブリスベンの北西1,867キロに位置する。
人口:21,751(1996)、23,679(1981)、25,497(1971)、16,877(1966)、7,433(1954)、3,241(1933)。


 1880年代から銅採掘が行われた。しかし、1920年代の価格急落で荒廃する。1923年に探鉱者ジョン・キャンベル・マイルズJohn Campbell Milesによって銀と鉛が発見され、翌年マウント・アイザ鉱山会社Mt Isa Mines Coが設立された。この地区の名前はマイルズが、姉イザベラIsabellaにちなみ命名した。町はカルカドゥーンズKalkadoonsのアボリジナルの居住地に位置している。1870年代から流入した入植者に激しく抵抗したが、80年代に先住民警察の導入によって白人の支配が確立した。

 僻地にあることと設備の欠乏が問題であったが、1927年にイギリス、31年にアメリカが、この地区に投資を行い問題は解決された。20年代半ばには鉄道が開通している。1927年にマウント・アイザ鉱山会社が町の建設を開始。安い借家と病院を含む必要な施設が建設された。特に32年から52年にかけて作られた簡易テントハウスは、マウント・アイザ独特のものである。1931年に銀と鉛の採掘が開始された。1942年に大きな銅鉱脈が発見される。戦時下にあった政府による奨励もあり、1944年から46年にかけて粗銅が生産された。1953年に別の銅鉱脈が発見され、70年代には銀や鉛の鉱脈がさらに発見された。1958年に発見された長大な地下鉱脈は銀と鉛と亜鉛の鉱山としては世界最大級のものである。現在でも2,000人近い鉱夫が採掘に従事している。こうして次から次へと発見される鉱脈が町の発展を後押ししてきた。クロンカリー郡の一部マウント・アイザは、1963年に独立し、マウント・アイザ郡となり、68年にシティとなった。フライング・ドクター・サーヴィスや放送教育サーヴィスの中心地にもなっている。

 オーストラリア鉱山町でありがちなことであるが、マウント・アイザでも絶えず労働問題が発生した。最も激しかったのは、1964年から65年にかけて生じた紛争で、戒厳令にまで事態が発展した。

 現在でも世界最大級の銀と鉛の鉱山であり、銅や亜鉛の産出も多い。セルウィン山地Selwyn Rangeに位置し、年平均降水量は357ミリで農業に適した土地ではない。周辺は肉牛の大牧場として利用され、ここを通るバークリー・ハイウェイBrakly Highwayは、牛のトラック輸送にとっても重要である。ギネス・ブックによると、マウント・アイザは世界最大の面積を持つ都市であり、最も長い道路は189キロの長さがある。町では鉱山のツアーが楽しめるほか、ナショナル・トラストのテント博物館では、テントハウスを展示している。

 三木一太朗・藤川隆男0403