オーストラリア辞典
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Mount Morgan

マウント・モーガン


クィーンズランド中東部、ブリスベンの北724キロ、ロックハンプトンの西38キロに位置する。
人口:2,487(1996)、2,866(1986)、2,974(1981)、4,152(1954)、3,262(1933)、9,772(1911)、3,514(1891)。


 町の名は、1882年にこの近くにある山を採掘し、鉱山会社を設立したモーガン兄弟にちなんで名づけられた。この山はかつてアイアンストーン山Ironstoneと呼ばれており、当初入植地は現地のアボリジナルの言葉でその山を指す、カリウンガルCalliungalという名前で知られていた。かつてはDharumbalのアボリジナルの居住地であった。初めてヨーロッパ人による入植が行われたのは1853年である。1860年代後半、地元の牧夫が金を発見するものの、82年にモーガン兄弟の鉱山会社が活動を開始するまで、この発見は公表されなかった。モーガン兄弟は1886年に、自分たちの会社を4人の共同経営者に売却した。その中には、後にメルボルンでウォルター・アンド・イライザ・ホール医学研究所に資金を提供することになるウォルター・ホールも含まれていた。もう一人は、ウィリアム・ノックス・ダーシーWilliam Knox D'Arcyで、後にペルシアにおける石油採掘に加わり、ブリティッシュ・ペトロリアムを創設する。1890年、正式にタウンとして公示され、1898年に38キロ北東にあるロックハンプトンからの鉄道が開通した。レイザーバック山脈Razorbackを登るためのアプト式鉄道が、1952年まで残っていた。1902年には銅の採掘が始まる。1908年時点の人口は約12,500人、最盛期の人口は15,000から16,000人に達した。1929年にマウント・モーガン有限会社が設立され、露天掘りの方式が導入された。1939年に銅の精錬所が建設された。企業と自治体の共同事業によって、1936年に電気、52年に水道が整備された。1970年代には、マウント・モーガンはクィーンズランド最大の金山となり、銅の産出量でもマウント・アイザに次いで第2位となった。1970年代の終わりまでに、220トン以上の金と32万トンの銅、そして大量の銀が産出されたが、鉱山は81年に閉山した。今は巨大な山は、長さ2.5キロ、深さ300メートルの巨大な穴となっている。

 津田博司0702