オーストラリア辞典
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National Insurance

国民保険


 オーストラリアでは伝統的に、社会保障をいかなる財源でまかなうかをめぐって、政界の意見は2つに分かれていた。非労働党系の政党は、一般的に、受益者が負担する国民保険や強制保険の案に賛成してきた。

 1910年には、連邦の統計学者ジョージ・ニッブズGeorge Knibbs卿が、ヨーロッパにおける国民保険の調査に基づいて、オーストラリアでも国民保険を採用すべきであると提案した。しかし、それを実行に移すとなると、様々な問題が生じた。ブルース=ペイジ政権は、国際連盟の一部として発足した国際労働機関(ILO)によって国民保険が承認されたことを受けて、1923年に国民保険についての調査委員会を設置した。委員会は、政府に助言を行なう公的機関の設置を提案し、1928年に、財務長官アール・ペイジは、計画を導入する法案を提出した。しかし、この法案は政権交代により、廃案となった。1934年には、不況により年金支出が莫大なものとなり、この案は改正され、1938年に再び提出された。この計画は、健康保険や年金を含んでいたが、失業保険は除外していた。

 この新たな国民保険の導入の試みも失敗した。戦争もその一因ではあるが、政府内の意見の不統一と、英国医療協会のオーストラリア支部の強い反対が大きく影響した。労働党は、国民保険の計画に反対し、第2次世界大戦中に、国税収入によって社会保障を行う既存のシステムを拡大した。

 新村祐規00