オーストラリア辞典
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New Guard

ニューガード


世界恐慌の頃に結成された右翼団体。


 1931年にシドニーで結成。右派組織出身のエリック・キャンベルEric Campbellがリーダーとなった。ラング労働党政府の恐慌対策への不満が組織結成の直接的な動機であった。ニューガードは、20年代に盛んになった右派運動から派生したもので、組織のメンバーの多くは元軍人(特に士官)であり、帝国や王室に忠誠を誓い、「古き良き秩序」を乱すもの(特に共産主義)から社会を守ることを目指していた。元軍人中心の彼らは、軍隊流の組織や生活を理想としており、社会問題の解決に軍隊組織のモデルを導入するべきだと考えていた。そのピーク時には5万人の団体員がいたといわれている。『ニューガード』、『ザ・リバティ』という名の機関紙も発行していた。ニューガードは、ラング首相が出席する集会でヤジを飛ばしたり、ニューサウスウェールズ総督にラング政府の解散請求を提出するなど、派手な活動を行った。最も注目を集めたのは、1932年3月のシドニーのハーバーブリッジ開通式典での妨害行為である。ニューガードの団員フランシス・デ・グルートFrancis de Grootは、ラング首相が開通を祝してリボンをカットする前にそのリボンを切り裂いた。活発な活動を行ったニューガードも、1932年にその攻撃対象であったラング政府が解散すると勢いに陰りが見え始めた。1935年のニューサウスウェールズの総選挙において、ニューガードの政治部門である中央党は、キャンベルを含めて候補を立てたが、全員落選し、その年の末にニューガードは事実上解散した。オーストラリアの数少ないファシスト団体として歴史学の研究の対象となってきた。

 三木一太朗00