オーストラリア辞典
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Nolan, Sidney Robert

ノラン(ノウラン)、シドニー・ロバート


1917-1992
メルボルン、ヴィクトリア生まれ。
画家、前衛芸術家。


 オーストラリアの前衛美術の中心的存在であり、オーストラリアの画家の中でも最大の国際的名声を得た人物である。ネッド・ケリーを主題にした作品が最も有名であり、オーストラリアの歴史、あるいは奥地の風景を主題とした多くの作品を生みだしている。

 プララン技術学校でしばらく学んだ後、1934年には短期間ではあるがナショナル・ギャラリー・スクールでも研鑽を積んだ。ノランはヨーロッパのアヴァンギャルドとアジアの表意文字とを組み合わせることによって、純抽象的なモティーフの領域を発展させる。 1938年にはコンテンポラリー・アート・ソサエティ(CAS)の設立メンバーとなる。第2次世界大戦が始まると第13補給部隊に参加し、ヴィクトリア州のディンブーラに駐屯していたが、この時期に風景画と形象美術への関心を深めることとなった。戦争の終結まで創作活動を続けたノランは、個人あるいはグループの両方でCASとともに展覧会を開いた。 1945年ジョン・リード、マックス・ハリスが経営する出版社に加わり、悪名高いエルン・マレイ版の『アングリー・ペンギンズ』の表紙絵を手がけたが、このことによりノランはオーストラリアの文化的前衛主義における中心的存在と目されるようになる。

 戦争が終わってから数年間は、オーストラリアの風景を主題に多くの作品を描いていたが、その中でも主要なものは1947年から1948年にかけて制作されたネッド・ケリーを主題とする一連の作品である。文学あるいは歴史を素材として、例えば感傷的なオーストラリアの風景に対しケリーの鉄兜を併置させることにより、力強く高貴な個人の記憶を呼び起こすような作品を創り出した。さらに1950年代に海外旅行の機会に恵まれたことが、レダと白鳥、ガリポリ、アフリカや中国、南極のエキゾティックな風景画などを生み出す契機となった。

 ノランはオーストラリアのアイデンティティを強く残しつつも、ロンドンを拠点として活動をはじめると、国際的な名声を確立した。多くの絵画を手がけながらも、1940年にセルジュ・リファールのバレエ「イカロス」 Icareの仕事を依頼されて以来、散発的にではあるが、劇場のデザインなどの分野やメディアでも新しい作品を創作していった。

 最も著名なオーストラリアの芸術家として、ノランの作品は世界の有名な美術館で公開されている。彼はまた多くの作品を国内の芸術協会に提供した。その芸術に対する貢献から1981年にナイト位に叙せられ、1985年にはメリット勲位も叙勲された。オーストラリアとイギリスの両国で芸術活動を続けたが、1992年に死亡した。

 中村武司00

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