オーストラリア辞典
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Nowra

ナウラ


ニューサウスウェールズ南東部、シドニーの南約160キロに位置する。
人口:23,823(Nowra-Bomaderry, 1996)、17,887(1981)、12,873(1971)、6,221(1961)、1,887(1911)、243(1871)。


 名前はアボリジナルに由来し、「キャンプ場」あるいは「ブラック・コカトゥー」を意味する。ショウルヘイヴンShoalhaven川がジョージ・バスによって確認され、1802年になってジェームズ・ミーアンが探検した。1812年ころまでには、杉の伐採者が入り込んだ。1821年にチャールズ・スロズビーがnou-woo-ruとこの場所の名を記している。この地域にはダラウォルDharawalのアボリジナルが居住していたと思われる。1822年に入植が始まる。メルボルン・カップの第1回・第2回の勝利馬、アーチャーは、この近くのテララ牧場で飼育された。1850年に町の土地は確保され、2年後に公示された。1862年にタウンが建設されて、1871年に自治体となった。この年までに、ナウラの町には9軒のホテル、タウン・ホール、郵便局、2つの銀行を備えるようになっていた。さらに1948年に郡に統合された。ショウルヘイヴン川の橋は1881年に架橋され、川の北岸ボマデリーBomaderryへの鉄道が1893年に開通した。1885年ナウラはタウンとして公示され、91年にはボマデリーの町が区画された。ボマデリーはアボリジナルの言葉に由来し、おそらく「棒を投げる男」や「流れる水」を意味するとされる。1948年、町の南10キロにアルバトロス海軍航空基地が、オーストラリア唯一の海軍の航空基地として誕生した。ショウルヘイヴン製紙工場が、1956年にボマデリーに設置された。1977年、アボリジナル文化センターがオープンし、1979年ショウルヘイヴン・シティCity of Shoalhaven(55,980(1986))が公示され、その一部となった。西のヤルワルでは、1860年に金が発見され、1871年に本格的な砂金採掘が始まり、1920年代まで続いた。

 藤川隆男0303