オーストラリア辞典
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Port Fairy

ポート・フェアリー


ヴィクトリア南西部、メルボルンの西291キロに位置する。
人口:2,625(1996)、2,276(1981)、2,579(1966)、1,757(1881)、2,342(1861)。


 地名はジェイムズ・ウイシャート船長の小型帆船フェアリー号に由来する。古くはベルファスト Belfastと呼ばれた。白人の入植以前は、Gunditjmaraのアボリジナルの居住地であった。1840年代先住民は入植者に激しく抵抗したが、先住民警察の導入がこの抵抗を打ち破った。ウイシャート船長が1810年に捕鯨基地を築き、続く1820年代にはジョナサン・グリフィス船長がグリフィス島に捕鯨基地を設置した。グリフィスはその後、基地を現在のポート・フェアリーに移した。町は港として栄え、1850年代にはオーストラリアでシドニーに次いで活気ある港であったが、アトキンソン家の土地独占と交通網の未発達などの理由から、ウォナンブールにその地位を譲り、1902年のジョン・クードによる港の改良から、現在では漁港となっている。1887年に町の名称はポート・フェアリーとなった。

 ポート・フェアリーはヴィクトリアにおける初期の入植地の1つで、1839年からアトキンソンやラトレッジなどの入植者に土地の売却が行われた。1856年にアトキンソンが町を設けて、ベルファストと名づけ、1863年にバラとなった。現存する50以上の建物がナショナル・トラストの指定を受けている。ミルズ船長の家や、1845年から46年に町の東部に築かれたウッドバインの農家も残っている。この農家はヴィクトリア州に現存する最古のものである。その他にも1840年代から50年代の建物とともに、ブルーストーンや砂岩造りの捕鯨者の家が昔の面影をとどめたまま残っている。町の防衛については、1855年にロシアの侵略を恐れて自衛団が結成された。また1850年代にはフランスの太平洋侵略など、他の侵略に対する恐怖もあり、1860年代には火薬庫が、そして海岸線沿いには砲台も築かれた。1886年にはバッテリー・ヒルに砦が築かれるものの、それが用いられることはなかった。現在の町の経済は観光と漁業に依存している。港はヴィクトリアで最も大きな漁港の1つであり、アワビやロブスターなどの漁が盛んである。旧裁判所(1859)にヒストリー・センターがあり、この地方の歴史を知るのに好都合であるが、開館日時は限られているので、注意が必要である。

 吉田祥子・藤川隆男0403