オーストラリア辞典
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Port Hedland

ポート・ヘドランド


西オーストラリア中西部ピルバラ地方北部海岸の町、パースの北1,635キロに位置する。
人口:12,846(1996)、12,948(1981)、7,229(1971)、1,778(1966)、218(1933)、360(1911)。


 1863年にマングローブ・ハーバーMangrove Harbourを探検した快速帆船ミステリー号のキャプテンであり、真珠採取業者であったピーター・ヘドランドにちなんで名づけられた。現在のアボリジナルは町をンガルNgaru「悲しい場所」と呼ぶ。かつては先住民のNyamalあるいはKariyarraのアボリジナルの居住地であった。1863年から地域では牧畜が始まった。この頃、真珠採取基地として町が設立されたが、1880年代のピルバラのゴールドラッシュにともなう発展後の1896年まで、タウンは公示されなかった。ブルームが繁栄するまでは、主要な漁業、真珠採取業の中心地の1つであった。1905年には60キロ南のWodginaでタンタライト採鉱が始まり、1960年代には世界の主要供給源となった。1912年にマーブル・バーMarble barへの鉄道が開通し、1951年には廃線になった。鉄道はマーブル・バー地域で採れたスズを港へ運んでいた。1912年には最初のオーストラリア内陸伝道団の1つがここで設立された。1915年には病院が設立された。1935年には西オーストラリアで最初のフライング・ドクター基地が設立された。リチャードソン・ストリートに現在も基地があるので、その活動を実際に見学することができる。1942年には日本軍による爆撃を受けた。1946年にはヨーロッパ人ドン・マクロオドの指導により、デ・グレイDe Grey牧場でのアボリジナルのストライキが引き起こされた。1953年ウディー・ウディーWoodie Woodie産のマンガンが初めて港から船で送られた。1964年からのピルバラでの鉄鉱床の発見以来、新たな繁栄が訪れた。1967年から68年にかけ、ニューマンNewmanからの鉄道が敷設され、1969年には最初の鉄鉱石運搬車両が荷を運んだ。現在フィニュケイン島Finucane Islandにある港は、連絡橋で本土へと繋がっている。1969年には港から初めて塩が船で運ばれた。1980年代初頭には、ピッピンガラPippingarra牧場からの雲母もまた、港を通じて輸出された。1980年にはヘドランド・カレッッジも設立された。町の気候は温暖で、冬の平均気温は11.8-27.0℃、夏の平均気温は25.2-36.5℃であり、年間平均降水量は307mmである。現在オーストラリア最大の港(輸出重量)があり、25万トン級の鉱石運搬船が2隻着岸できるのはここだけである。世界最長の列車や機械もこの町にある。町の18キロ南にサウス・ヘドランドが建設されており、町の人口の大半はここに居住している。

 見国裕也・藤川隆男0403