オーストラリア辞典
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Port Kembla

ポート・ケンブラ


ニューサウスウェールズ南東部、シドニーの南86キロ、現在はウロンゴングの一部であり、その海岸部に位置する。
人口:7,830(1961)、4,960(1947)、844(1911)。


 もともとこの地域は、1770年にジェームズ・クックによって、レッド・ポイントと名づけられていた。しかし、マウント・ケンブラ炭鉱のための桟橋があったことから、1892年にポート・ケンブラに改名された。白人の入植以前はダラウォルのアボリジナルの居住地であった。1796年、海岸線はジョージ・バスとマシュー・フリンダーズが探検した。フリンダーズ島で難船したシドニー・コウヴ号の生き残りは、ここにたどり着いた。最初の土地交付は1817年、最初のヨーロッパ人の定住地の建設は1826年であった。1859年にブライ石炭会社が石炭の開発を始め、1882年にはマウント・ケンブラ炭田が設立された。1883年レッド・ポイントまで鉄道が開通し、桟橋が建設された。1902年オーストラリア最悪の炭鉱事故が発生し、96人が死亡した。1909年にマウント・モーガンの銅鉱石の精錬所が完成し、1921年にはオーストラリア肥料会社が設立された。1928年ホスキンス(オーストラリア)製鋼が創業し、BHPが1935年にこれを吸収した。1938年連邦圧延工場がオープンする。戦後、マウント・アイザやマウント・ライルMount Lyellの銅鉱石の精錬が行われた。1960年代から港湾設備の整備が進むが、1980年代からの産業構造の転換によって、石炭業、製鉄・金属工業が衰退し、多くの失業者が生まれた。そそり立つ煙突が、遠くからでもポート・ケンブラのランドマークとなっている。現在、町の人口は約5,000人である。主要な産業はBHPの製鉄所、石炭や小麦の積み出し、銅の精錬などである。

 藤川隆男0403