オーストラリア辞典
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Port Macquarie

ポート・マクウォリー


ニューサウスウェールズ中東部海岸、シドニーの北東407キロに位置する。
人口:33,709(1996)、19,581(1981)、9,343(1971)、1,727(1933)、820(1836)。


 1818年に、ヘースティングズ川河口に位置するこの地を、ヨーロッパ人として最初に探検したジョン・オクスリーが、マクウォリー総督にちなんでこう名づけた。白人による入植以前は、カタングKattangのアボリジナルの居住していた。1820年オクスリーは再びこの地に到達し、現在の町の場所を入植地に選んだ。マクウォリー総督は1821年に再犯者の囚人入植地をここに設立したが、その様子はこの入植地の囚人であったジェームズ・タッカーの「ラルフ・ラシュレイ」Ralph Rashleighで詳しく描写されている。1825年には女性工場が設立された。1830年には囚人の入植地を廃止することが決まったが、完全に閉鎖されたのは、1847年であった。また受刑者によって建設された刑務所は、1840年に完成したが、1917年に取り壊された。一方、1820年代からサトウキビ栽培が行われ、砂糖の精製所も作られたが、気候が合わず、発展はしなかった。ニューイングランド地方へ向かう道路の建設後、港町として重要となっていった。経済はこの地域の豊かな森林資源に依存していたが、農民の数も増加し、1880年代には銀行や新聞社が開業した。1887年にタウンから自治体になった。1981年に行政機構がヘースティングズ郡と合併し、ヘースティングズ自治体となった。ポート・マクウォリーは現在、その政治的中心となっている町である。

 オクスリー・ハイウェイとパシフィック・ハイウェイの合流点の東に位置するこの地は、その穏やかな気候からリゾートや退職後の居住地として発展している。カキの養殖等も盛んである。また、降水量の多さから、国有森林State forestsがいくつか存在する。1828年に完成した、フランシス・グリーンウェイ設計の聖トマス・アングリカン教会や、1879年に建てられた燈台などは、歴史的建造物として有名である。

 清水寿夫・藤川隆男0403