オーストラリア辞典
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Queenstown

クィーンズタウン


タスマニアの中西部、ホバートの北西256キロに位置する。
人口:2,631(1996)、3,714(1981)、5,025(1971)、3,659(1911)、5,051(1901)。


 ライル自治体の行政上の中心地で、クィーン川Queen River付近に位置する。ヴィクトリア女王に敬意を表してクィーンズタウンと名づけられた。同地域は1860年代にチャールズ・グールドCharles Gouldによって探検され、1881年にはライル山の南で金が発見された。1888年にライル山金採掘会社Mount Lyell Gold Mining Co.が設立された。金の採掘は1891年に終わった。しかし、それまで廃棄されていた銅の価値が認識され、ライル山鉱山会社Mount Lyell Mining Co.が創設された1892年に、ペンガナPenghanaの町が設立された。1895年にライル山で最初の精錬所が作られたが、総支配人R. C. スティシュトStichtによって設計された溶鉱炉のデザインは、その後、世界の多くの溶鉱炉に取り入れられた。また11基の溶鉱炉が設置され、燃料として大量の木が伐採され禿げ山になったが、硫黄蒸気のため近年まで森林再生は阻まれていた。1896年にペンガナの町が火災で消失し、渓谷を下ったところに新しくクィーンズタウンが建設された。1899年にストローンへの鉄道が敷設されたが、1963年に廃線となった。

 ライル山および北ライル採掘会社が1903年に合併し、クィーンズタウンをその活動の中心地に据えた。この結果、ゴーマンストンGormanstonやクロッティCrotty、ピリンジャーPillingerなど、周辺にあったその他の入植地は衰退した。1914年、水力発電所がマーガレット湖Lake Margaretに建設された。1932年にホバートへの道が未舗装ながら完成した。西ライルでの露天掘りが1934年に操業を始める。しかし精錬所が1964年に閉鎖され、溶鉱炉も1969年に閉鎖された。西ライル鉱山は1972年に閉鎖された。主要鉱山は1970年代から1980年代まで政府援助によって規模を縮小して操業を続け、最終的な閉鎖が1988年に予定されていた。しかし現在まで操業は続けられている。町の経済は観光と銅の採掘に負っているが、経済的に採掘可能な銅はほぼ採掘されつくした。1980年代初頭までに、銅90万トン、銀547トン、金26,400キログラムが産出された。古いたたずまいを残す町の建造物や環境から、「歴史の町」として知られている。ただし町の土壌汚染はひどく、川の水はいつも濁っている。町の周囲の環境汚染もひどく、不毛の丘が広がっている。白人の入植以前には、この地域に住民はいなかった。

 藤井秀明1001