オーストラリア辞典
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responsible government

責任内閣


 議会政治の一形態で、下院において多数を占めた政党が内閣を組織する。

 責任内閣は1855年にニューサウスウェールズ、ヴィクトリア、タスマニア、1856年に南オーストラリア、1859年にクィーンズランド、1890年に西オーストラリアで導入され、イギリス植民省により任命されていた総督や官僚に代わって政治を行った。植民地における責任政府の成立は、行政の植民地への移行を意味するので、しばしば自治政府の成立と同一視される。各植民地の憲法は二院制の議会を定め、1922年に上院を廃止したクィーンズランドを除く州では、現在でも存続している。連邦政府も責任内閣の形態をとっており、その根拠を連邦憲法におっている。内閣は上下両院の支援のもとに行政を司り、税制や各種立法措置を執行する。憲法により上院は、国費の支出または租税を課す法案の発議および修正を行うことはできないが、法案を拒否する権限を持つ。この上院の拒否権は長らく発動されず、内閣は下院に対して責任を負うとされてきた。しかしながら、1975年のホイットラム政府解任へと至る憲政上の危機において、野党が過半数を占めた上院は予算関係法案の議決を初めて拒否した。当時の最高裁長官バーウィックは、この件に関するカー総督への助言の中で、政府は究極的に両院に責任を負っている、との新しい原則を展開した。果たしてカー総督は、連邦史上初めて大臣解任権を行使し、ホイットラムを解任した。

 藤井秀明01