オーストラリア辞典
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Richardson, Ethel Florence Lindesay

リチャードソン、エセル・フロレンス・リンジー


1870-1946
メルボルン生まれ。
小説家。


 1870年1月3日、メルボルンのフィッツロイに生まれる。父ウォルターはアイルランド系の医師であった。彼女の家族は1850年代に金鉱へと移住して来ていた。ウォルターは医者として成功し、株式にも投資し豊かな生活を送っていた。しかし、その後投資に失敗し、精神を病み、おそらく梅毒を患って死亡した。彼女はメルボルンのプレスビタリアン・レディーズ・カレッジで教育を受けた。1888年に母とともににヨーロッパに渡り、翌年ドイツのライプチヒ音楽学校に入学してピアノを学んだ。1895年、イギリス人のドイツ文学者、ジョン・ジョージ・ロバートソンと結婚した。1903年にロバートソンがロンドン大学に職を得て、イギリスに移った。

 1908年の処女作以来、ヘンリー・ハンデル・リチャードソンHenry Handel Richardsonというペンネームで執筆活動をおこなった。彼女は国際的な賞賛を得た最初のオーストラリアの小説家の1人であるといわれる。彼女の作品の中で最も有名なのは、三部作The Fortunes of Richard Mahonyであり、これはAustralia Felix(1917)、The Way Home(1925)、Ultima Thule(1929)からなり、ゴールドラッシュにおける移住者の人生を描いたものである 。主人公リチャード・マーニーは彼女の父をモデルにしたといわれる。ヨーロッパに渡って以来、オーストラリアに帰ったのは、1912年にThe Fortunes of Richard Mahonyの取材で訪れたとき1度きりであった。他の作品としては、Maurice Guest(1908)や、The Getting of Wisdom(1910)などがある。1946年3月20日、イギリスで亡くなったが、未完成で残された自伝がMyself When Youngとして1948年に出版された。

 渡部滋之1101