オーストラリア辞典
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Roberts, Thomas William

ロバーツ、トマス・ウィリアム


1856-1931
ドーチェスタ、ドーセット、イングランド生まれ。
画家。


 1856年3月9日ジャーナリストのリチャード・ロバーツの長男として生まれる。ドーチェスタ・グラマースクールで教育を受け、1869年父の死後メルボルンへ移住した。夜間学校に通いながら写真家の助手を務め、後に新聞や雑誌の挿絵を手がけた。1881年イングランドに移り、新聞の挿絵を続けながらロイヤル・アカデミースクールで学ぶ。1885年再びオーストラリアに戻る。彼はオーストラリアの景観の価値を高く評価した最初の画家の1人であり、世紀末のナショナリズムの高揚に貢献した人物である。しかし、個人的には彼はイギリスを愛し、帝国を愛する人物であった。彼はハイデルバーグ派の設立に大きく貢献した。経済不況により芸術への支援がほとんど望めなくなったメルボルンを出て、ストリートンとともに1891年にはシドニーのモスマンにキャンプを設立した。彼はまた、メルボルンやシドニーで教えながら肖像画を描いていた。彼は肖像画を「オーストラリア・タイプ」の歴史的記録であると考えるようになる。1895年にはニューサウスウェールズ芸術家協会創設時の会長をつとめた。1903年以降は国外、主にイングランドに住み制作を続け、第1次世界大戦では看護兵として従軍した。1923年彼はオーストラリアに戻って永住した。彼の作品には、Bourke Street(1885-6)、Coming South(1886)、オーストラリアのアイデンティティをイメージしたとされるようになるShearing the Rams(1889-90)、The Breakaway(1891)、連邦政府の発注したOpening of the Commonwealth Parliament(1901-3)などがある。ハンフリー・マックイーン Humphrey McQueenによる伝記が出版されている。

 藤川隆男1202