オーストラリア辞典
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Ross

ロス


タスマニア中東部の町、ホバートの北122キロに位置する。
人口:275(1996)、289(1981)、585(1911)、311(1901)、353(1881)。


 町の名はラクラン・マクウォリー総督により、スコットランドの地名にちなんで名づけられた。マクウォリーは1811年の訪問の際、この地域をアーガイル・プレインズと名づけた。1812年、旅行者の保護のための軍事駐屯地として町は設立され、後に駅馬車の宿駅となった。マン・オヴ・ロス・ホテルが1817年に開業し、1831年に建て直された。1821年には川に橋が架けられた。1823年、地域で最初の無償土地払い下げが行われた。1830年に町は測量され、1844年に完了した。植民地の建築家ジョン・リー・アーチャーにより、初期の木製の橋と取り替えるためロス・ブリッジの建設が計画され、1833年から36年にかけて建設された。スコッチ・シスル・インが1826年に建てられ、1830年に初めて酒類販売許可を与えられた。1837年にはウェズリー派の教会が建てられた。1848年に「女性工場」(囚人女性の収容施設)が設立され、1854年に閉鎖された。1869年にはセント・ジョンズ・アングリカン教会が建てられた。歴史都市に指定されており、ナショナル・トラストによって旧兵舎が復元されている。南方にあるモナ・ヴェイルは、第1次世界大戦では、軽騎馬隊、第2次世界大戦では、陸軍の訓練センターとして使用された。

 ロスの町はハイウェイからはずれたおかげで、19世紀前半の姿をそのままとどめることになった。1836年完成のロス・ブリッジは、囚人労働によって築造されたもので、この種の橋としては最も重要なものだとされる。町の最も大きな十字路は、「誘惑、娯楽、救済、断罪」と呼ばれる。その理由は、4つのコーナーにホテル、タウン・ホール、カトリック教会、監獄が立っているからである。その他の主な歴史的建築物は、チャーチ・ストリートを中心に点在している。

 見国裕也・藤川隆男0403