オーストラリア辞典
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Rushworth

ラッシュワース


ヴィクトリア中北部、メルボルンの北163キロ、ゴールバーン川流域に位置する。
人口:976(1996)、994(1981)、1,483(1933)、399(1871)。


 地名は、初期の金鉱監督官リチャード・ホーンの航海中の友人の名前に由来するといわれる。あるいは、「価値のあるラッシュ」という意味で名づけられたといわれる。初めのころは、Dry Diggings、Nuggetyなどと呼ばれていた。かつてこの地域に居住していたのは、TaungurongあるいはBgurraiillamのアボリジナルであった。1853年に金が発見され、1854年に町の測量が行われた。裁判所、警察のキャンプ、ホテル、学校などが設置され、銀行や商店も多数開業した。金の発見数年後には、北にあるワルーWhroo地区と合わせて、約4万人の金鉱夫が集まった。しかし、1870年代に金の生産は減少し、林業・農業地帯になった。マリー・ダーリング潅漑計画の一部として、ワランガWaranga貯水池は1905年に完成したが、人口流出が続いた。第2次世界大戦中、約1,000人の戦時捕虜がこの地域に収容されていた。町の中心部はナショナル・トラストの指定を受けており、セント・ポール・アングリカン教会(1870)、裁判所、郡のホール(1869)、旧インペリアル・ホテル(1854)など多くの19世紀の建築物が残っている。

 藤川隆男0403