オーストラリア辞典
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Sailing, Yachting, America's Cup

アメリカズ・カップ、ヨット競技


 オーストラリアにおいてヨット競技はもっとも人気の高いスポーツのひとつである。ヨット競技はすでに1820年代から、非公式ではあるが行われていた。オーストラリアにおける最初のレース用ヨットは、英国の様式に基づく漁船であった。広い船幅を持ち、喫水を浅く設計されたこのタイプの船は、第2次世界大戦頃まで、キール(竜骨)技術によって設計された小型船であった。第2次世界大戦後には、アルミニウムやファイバーグラスを安価に仕入れることが可能となったので、大量生産によって、しかも多くのタイプの船を製造することが可能となった。こうして近代的で操舵の容易な船が、より多くの人々の手に届くようになり、その結果、スポーツとしてのボート競技の隆盛の可能性を拓くことにもなった。

 オーストラリア沿岸地域の強風は、ボート競技を妨げるどころか、1945年にはついにシドニー=ホバート間のレースが開催されるまでになった。オーストラリアは国際的な洋上レース競技における強国であり、なかでも世界的な大会として名高いアドミラルズ・カップにおいては常に世界一流水準にあった。1967年に初参加したおりには、英国に次いで第2位の成績であったが、1969年には第1位の栄誉を手にしている。しかし近年、この大会におけるオーストラリアの成績は低迷している。

 オーストラリアのヨットチームの活躍した国際大会としては、ほかにアメリカズ・カップがあげられる。アメリカズ・カップは、1851年に英国のワイト島で開催されたレースを起源としている。この大会は大英帝国とその産業技術を世界に誇示する目的で催された、国際大博覧会Great International Exhibitionの関連祝賀行事の1つとして行われたものであったが、優勝したのは皮肉にもアメリカ代表チームであった(アメリカ号)。大会にはまだ名称がなかったので、このアメリカ・チームの優勝に由来して、以後アメリカズ・カップとして知られるようになった。1962年にはこのアメリカズ・カップに、オーストラリア代表としてフランク・パッカーSir Frank Packerが初めて挑戦した。また1983年には、オーストラリア代表のアラン・ボンドが後援するチーム(Royal Perth Yacht Club代表)が4度目の挑戦において、それまで132年間大会の頂点の座に君臨し続けたアメリカ代表のニューヨーク・ヨットクラブ(NYYC)を押さえて優勝の座を勝ち取った。

 オーストラリアにおける世界的規模でのレース競技大会としては、サザンクロス・トロフィーSouthern Cross Trophyがある。この大会は、オーストラリア・クルージング・ヨット・クラブならびにタスマニア・ロイアル・ヨット・クラブの主催によるもので、1967年に最初の大会が開催された。この時はニュージーランド・チームが優勝、ニューサウスウェールズ・チームは第2位であった。競技方式は英国のアドミラルズ・カップを踏襲している。2年ごとに開催され、各国がそれぞれ3艘のヨットを代表として競うものとなっている。

 レース競技におけるオーストラリアの活躍は現在にいたるまで続く。シドニーのヨットマンであるフランク・トルハーストFrank Tolhurstは、5.5メーターならびにE22の2つのクラスにおいて、それぞれ1976年と1978年に世界タイトルを手にしている。またリンダル・コクソンLyndall Coxonは、女性の世界大会において2度優勝している。

 またオリンピックでは、1948年以来顕著な成績を収めてこなかったが、1964年に初めて金メダルを獲得した(5.5メーター)。また1972年のオリンピックでも2つの金メダルを獲得した(DragonおよびStarクラス)。

 平野孝展00