オーストラリア辞典
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Sorrento

ソレントウ、ソレント


ヴィクトリア中南部、モーニントン半島の先端、メルボルンの南90キロに位置する。
人口:1,250(1986)、2,152(1961)、1,045(1947)、603(1891)。


 地名は、1868年に南部イタリアのカンパニアにある町にちなんで、チャールズ・ギャヴァン・ダフィーと演劇団長のジョージ・コパンにより名づけられた。白人の入植以前は先住民Boonwurungの居住地であった。1802年に、この地域の領有を宣言するために、現在の町から西2キロの地点で、オーストラリアで初めて新型のユニオン・ジャックが掲げられた。1803年、陸軍中佐デイヴィド・コリンズが最初の白人入植地をサリヴァンズ・コウヴSullivan's Coveに建設した。ヴィクトリアで初の白人の誕生、結婚、死亡はこの地で記録されている。しかし、木材や水の入手の困難さ、ポートフィリップ湾の出入の困難さが原因となって、1804年に放棄された。1837年に最初のスクオッターが入り、他の者もこれに続いた。1870年代には漁村となる。1870-80年代には、ジョージ・コパン George Coppinが、町を海水浴場として発展させることに尽力した。ホテル、ヴィラ、桟橋、海水浴施設が整備され、1890年代には、埠頭から海岸まで、鉄道馬車と蒸気機関車が走るようになった。20世紀に入るとコパンが予想したように、ホリディ・リゾートとして、また日帰りの観光地として、とりわけ夏場はにぎわいを見せている。毎月第4土曜日にクラフト・マーケットが開催される。

 沖合いに停泊したティコンデロガ号の乗員170名が天然痘で1852年に死亡したことから、その翌年、近くのポートシーPortseaに検疫所が建てられた。1967年には、チェヴィオト・ビーチCheviot Beachでハロルド・ホルト総督が溺死している。

 藤川隆男0303