オーストラリア辞典
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Tamworth

タムワース


ニューサウスウェールズ北東部、シドニーの北412キロに位置する。ニューイングランドの中心都市で、ピール川に面している。
人口:31,865(1996)、29,657(1981)、18,984(1961)、7,607(1911)、254(1851)。


 地名は、イギリスのスタフォードシアとウォリックシアの境界にある町から名づけられた。初期にはザ・ピールとして知られている。ヨーロッパ人入植以前にはアボリジナルのカミラロイが住んでいた。1818年にジョン・オクスリーがピール川を渡ったことで入植者に知られるようになり、1830年に牧羊が始まった。しかし、1833年に、オーストラリア農業会社にその所有権のほとんどが与えられた。1841年会社の本部がガナ・ガヌーGoonoo Goonooに置かれた。オーストラリア農業会社の牧場が成長して1839年までに村ができ、1850年にタウンとなった。1850年代に病院や学校が作られ、1860年に聖ポール・アングリカン教会が建てられた。大牧羊業者が先に入ったため、小農民の定住化が妨げられ、結果として人口が増加せず、町の成長は押さえられた。1876年に自治体になり、初代市長はフィリップ・ギドリー・キングが務めた。ニューカッスルからの鉄道は1878年に開通した。ロイアル・スタンダード醸造所は1879年に事業を始め、1921年まで続いた。1888年に南半球で初めて、自治体が運営する電気による街灯が備えられた。1890年にこの地域のほとんどの土地の賃貸契約が切れたとき、多くの人がこの地域へ殺到した。第1次世界大戦後、退役軍人が入植した。1920年代と1960年代には、ニューサウスウェールズから離れて、ニューイングランド州を結成しようとする分離運動の中心であった。1932年に飛行場ができた。第2次世界大戦中は、軍隊訓練キャンプとオーストラリア空軍の航空学校があった。1946年にシティと宣言された。イースト・ウェスト航空会社の本部が1947年にここに置かれ、新しい総合空港が1954年から1956年にかけて建設された。1948年に卵缶詰工場ができ、州内で最大の卵生産地のひとつになっている。

 現在、周辺では羊毛、小麦、酪農製品、肉、および果実が生産されており、地域のサーヴィス・センターや商業拠点として重要である。また、オーストラリアのカントリー・ミュージックのメッカとして最も有名な町でもある。1960年代と1970年代における急成長によって、町はニューイングランド地域の行政上、商業上の「首都」として見られている。

 山口典子00