オーストラリア辞典
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Tasman, Abel Janszoon

タズマン(タスマン)、エイバル・ヤーンスーン(アベル・ヤンスゾーン)


1603?-1659
オランダ生まれ。
探検家、船乗り。


 17世紀における著名な太平洋探検家で、オーストラリアのタスマニアは自治政府が成立する時に彼の名にちなんで名づけられた。

 タズマンは1603年頃にオランダで生まれた。オランダ東インド会社に所属し、1632年に東インドへ渡った。彼の参加した航海の1つは、遠く日本にまでも及んでいる。1642年、東インド会社はタズマンに、南アメリカ航路と太平洋に存在すると考えられていた南方大陸の探索を命じた。同年8月14日にタズマンはバタヴィアを出航し、南緯44度まで南下、その後東へと進路を取った。11月末にタズマンは陸地を発見し、東インド会社の総督アンソニー・ヴァン・ディーメンAnthony van Diemenにちなんでヴァンディーメンズランドと名づけた。現在のタスマニアである。タズマン一行は島の南部および東岸を周航し、上陸調査を行ったが先住民の存在を確かめることはできなかった。タズマンは、彼らの発見したものが島であることを確認できずに、さらに東へと航海を続けた。その結果、12月13日にニュージーランド南島に達し、タズマンらは先住民マオリと遭遇した。一行は、ヴァンディーメンズランドとニュージーランドの間の海峡をタズマン海と名付けた。ニュージーランドの南島と北島の間にあるクック海峡に気づかなかったタズマンは北東へと進路を取り、翌1643年1月にトンガ諸島に到着した。その後北西へ進み、フィジー諸島周辺を巡り、ニューギニア周辺の調査を行ったのちバタヴィアへ帰港した。

 1回目の航海を終えた時点で、オーストラリアの形状にはまだ不確定な要素が残されていた。カーペンタリア(現クィーンズランドの一部)とディウィット・ランド(現西オーストラリアの一部)にある海を南へ抜ける航路が存在するかどうかを調査するため、タズマンは1944年1月に再びオーストラリアへと航海に出た。航海の結果、タズマンは両地域が陸続きであるとの結論に達した。彼はこの航海で、現在のカーペンタリア湾からノース・ウェスト岬にかけての調査を行い、同地域の地図を製作した。同年8月にバタヴィアへ戻ったタズマンは指揮官としての地位を正式に認められた。

 その後タズマンはバタヴィアの司法評議会員に任命された。また1647年には、シャム(現在のタイ)でのオランダ人の特権を認めさせる外交任務に就いた。翌年、8隻からなる艦隊の指揮官としてスペインとの闘いに臨んだが、この任務中における部下の扱いがもとで解任された。1651年に復職するもまもなく退職し、バタヴィアで商売を営んだ。タズマンは1659年、バタヴィアの富裕な商人として永遠の眠りについた。

 藤井秀明0102