オーストラリア辞典
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Toowoomba

トゥウンバ


クィーンズランド南東部の町で、ブリスベンの西125キロに位置する。
人口:83,350(1996)、63,401(1981)、26,423(1933)、7,007(1891)、1,183(1861)。


 トゥウンバはクィーンズランドで最も大きい内陸のシティで、標高600メートル、年間降水量は955ミリの土地にある。ダーリング・ダウンズの商業と工業の中心地である。この町の名前は、アボリジナルの言葉で沼地を意味するtchwampa、あるいはオーストラリア産のウリ科植物であるchoowoomに由来しているが、以前はスワンプthe Swampとして知られており、現在の名前が使われるようになったのは、1858年からである。白人の入植以前はBarungganのアボリジナルの居住地であった。

 1849年に、ドレイトン・スワンプ農業地域が測量され売却された。その後トマス・アルフォードが移住し、1852年に自分の家をトゥウンバと名づけた。ドレイトンの郊外として拓けたが、すぐにドレイトンよりも大きくなり、1853年にスワンプの測量と土地売却があり、1860年からは、地方自治体になった。1887年にはタウンになり、1904年にはシティとなった。シティの発展を計画した1917年の大トゥウンバ計画には近隣の郡も含まれていた。

 1860年代には、炭酸水とコーディアルの工場と皮なめし工場、醸造所と麦芽小屋が建設され、クィーンズランド最初の電信サーヴィスによってトゥウンバがイプスウィッチやブリスベンとつながり、さらに、クィーンズランド初のタウン・ホールの建設、コブ・アンド・コウのサーヴィス開始、郵便業務の請負の獲得、鉄道の開通、トゥウンバ新聞の創刊などの出来事が起きた。1870年代には、大型鋳造所やユダヤ教の礼拝所であるシナゴーグが建設され、ガス灯も導入される一方で、腸チフスが猛威をふるった。そして1880年代には、低温貯蔵と冷凍技術が導入され、鉄道に関する提案で議論が起きた。

 1900年代に入ると、電気供給の開始、ローマ・カトリック教区の設定、最初のエアメール・サーヴィス、地域放送局の設立、軍需工場やライオネル・リンジー美術館と図書館の建設、さらに、クィーンズランド小麦研究所や高等教育のためのダーリング・ダウンズ・インスティチュートの設立が見られた。

 1890年にダーリング・ダウンズ・パストラリスト協会が設立され、羊毛刈り取り職人のストライキにおいては、牧羊業者たちの本部が町に置かれた。1936年には、クィーンズランド地方党(現国民党)がこの町で結成された。

 石川美帆0209