オーストラリア辞典
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Towns, Robert

タウンズ、ロバート


1794-1873
ノーサンバランド、イングランド生まれ
貿易商、政治家


 1794年11月10日、ノーサンバランドに生まれ、十分な教育を受けることなく、石炭船所有者の徒弟となる。徒弟奉公と並行して夜間に航海術を学び、20歳までには船の運航をまかされるようになった。1827年に初めてシドニーを訪れ、その後たびたびオーストラリアを訪れた。1833年にはシドニーでW.C.ウェントワースの娘ソフィアSophiaと結婚した。1843年に不動産を所有していたシドニーへと移住し、ロバート・ブルックスの代理人となり、ニューカレドニアやメラネシア地域などで貿易を行い、貿易商、船舶所有者として成功を収めた。ニューサウスウェールズ銀行の再編にも関与し、1850年から55年と66年から67年には頭取に就任した。同時に広大な土地を取得し、シドニー商業会議所の会長(1855-57,1863,1865)にもなった。1856年には立法評議会の議員となり(1856-61,63-73)、商業利害を代表し、民主主義の発展に抵抗した。

 1860年代にはクィーンズランドにも広大な土地を所有するようになり、その所有地は100万ヘクタールを越えた。その土地の共同所有者にはアレクサンダー・スチュアートやチャールズ・クーパーなどがいた。1863年にはオーストラリアに「ブラックバーディング」を導入し、また太平洋諸島の人々をブリスベン近郊の綿花プランテーションにおける労働力として用いるようになったが、この方法はオーストラリアの砂糖産業に応用され、その発展に大きく寄与した。しかし、労働者の勧誘、調達の方法はミッショナリーなどの強い批判を招いた。1864年にタウンズの代理人であったブラックJ.M.Blackが、クリーヴランド湾Cleveland Bayに植民を行い、この地はやがてタウンズヴィルTownsvilleの町、港へと発展することになった。また、カーペンタリア湾にもバークタウンBurketownを設立し、クィーンズランド辺境の開拓を進めた。1865年にクランブルックCranbrookに定着し、1873年4月11日に息を引き取った。

 水田哲朗1201