オーストラリア辞典
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United Australia Party

統一オーストラリア党


大恐慌の頃にオーストラリアで結成された保守政党、UAP(ユー・エイ・ピー)と略す。


 1931年5月に結成。大恐慌によって引き起こされた社会的・経済的不安と、労働党政権に対する反発が結党の原因であるとされる。労働党を離脱した議員や国民党の議員がその主な構成員であり、また愛国連盟All for Australia Leagueなどの右派団体がそれを支援した。党首には、その主要な構成員を提供した国民党の指導者レイザムではなく、労働党出身のJ.A.ライオンズが就任した。ライオンズは、メルボルンの実業界から財政的な支援や助言を受けており、また彼を前面に立てれば国民的な支持を取りつけやすいということで、党首に選ばれた。

 1931年12月の選挙で、UAPは勝利をおさめ政権を手にする。1934年まで単独政権で、その後は地方党と連立政権を組むことを余儀なくされる。UAPは連邦レベルだけでなく、州レベルでも勢力を拡大していった。しかし、1939年にライオンズが死去した頃から、党勢にも陰りが見えはじめ、ライオンズの後をついで党首・首相になったメンジーズも党内の批判の高まりから1941年8月辞任に追い込まれた。後任の首相には地方党のファデンが、後任の党首にはヒューズが選ばれた。1941年10月の選挙で連立政権は倒れ、労働党に政権を明け渡すことになった。続く1943年の選挙でもUAPをはじめとする野党は惨敗した。メンジーズは再び党首に返り咲き、党の再建に乗り出す。そして、1944年にUAPは解散し、自由党が結成された。  

 三木一太朗01