オーストラリア辞典
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Williamstown

ウィリアムズタウン


ヴィクトリア南部、現在はメルボルン郊外にあり、メルボルンの西13キロに位置する。
人口:25,554(1981)、15,960(1891)、9,034(1881)、2,613(1854)。


 地名は、ウィリアム4世に由来し、1837年にバーク総督によって命名された。かつては先住民ワタワルングあるいはBoonwurrungの居住地であった。1803年に、ロビンス中尉と測量官グリムズが、この地を訪れている。ヨーロッパ人が最初に定住したのは1835年である。1837年、メルボルン最古の郊外として、またポートフィリップ地区の港湾の中心として、総督バークによって整備されることになる。最初の土地の売却もこの年に行われた。1838年には倉庫と木造の桟橋が建設された。1840年には水上警察の長官が任命された。1847年には蒸気船のための桟橋が建設され、それ以降、常設の関税局が運営されるようになった。

1850年代に入ると、ゴールドラッシュにともない港の機能がより重要になった。その頃、犯罪者の増加に対処するために複数の牢獄船が設置された。1852年にはジェリブランド・ポイント Gellibrand Point に灯台が、翌年には防波堤が建設され、1854年には天文台と砲台とが設置された。また同年、オーストラリアで初めて電信によりメルボルンと連絡が結ばれた。1855年には開放式の造船台が建設された。翌年、最初の植民地海軍の軍艦であるヴィクトリア号が、この地を拠点とした。1856年に自治体になり、1859年には鉄道が開通した。現在オーストラリア海軍の造船所である国立造船所が1864年以降発展し、1874年には南半球最大の乾式ドックを持つ造船所となった。1873年には新しい関税局が建てられた。同年には議会によって、ニューポートから蒸気船が運航されるようになった。地方自治の面では、1886年にタウンに、1919年にシティとなっている。

1931年の段階では、ウィリアムズタウンから下ヤラ川を経由してメルボルンに行く船が、メルボルンへのより直接の交通手段であった。しかし、1978年にはウェスト・ゲイト橋が開通したので、これに代替されることになった。この橋の建設工事のさなか、1970年には35名の人命が失われている。1970年代後半には、橋の西端近くのニューポート発電所が環境論争の的となった。原油ターミナルが1950年代中葉に建設された。1850年代以降の家屋や建物が数多く残り、文化遺産に指定されている。最近は観光地としても注目されている。

 中村武司00