オーストラリア辞典
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Young

ヤング


ニューサウスウェールズの中西部、シドニーの西376キロに位置する。
人口:6,798(1996)、6,906(1981)、3,619(1911)、792(1871)。


 地名は、1861年に測量が行われた時に、ニューサウスウェールズ総督ジョン・ヤング(任期1861-67年)に敬意を表して命名された。それ以前はバランゴングBurrangongあるいはラミング・フラットLambing Flatと呼ばれていた。ヨーロッパ人の入植以前は、ウィラージューリーのアボリジナルの居住地であった。入植は1820年代に始まった。1860年に金が発見された後、タウンが建設された。1861年には「ラミング・フラットの暴動」と呼ばれる暴動が起き、ヨーロッパ人金鉱夫が中国人金鉱夫を襲撃し、2人が死亡した。これは、太平洋沿岸の白人入植地域で、19世紀に起こった反中国人暴動の中で最も大きなものの1つである。ラミングという名称は、1820年代にここに初めて作られた牧場の一部が、子羊の生産のために確保されたことに由来する。1861年に郵便局、学校、教会、銀行などが開設され、翌年には病院と裁判所が設置された。金産出量は低下したが、ロバートソンの土地法による入植が進み、農業生産が拡大した。19世紀の終わりまでには、食料品工業や皮革工業などの軽工学も発達した。1876年には監獄(後の技術専門学校)が建設された。1883年地方自治体となり(1980年に郡と合併する)、地方都市としては初めて1889年に電気の供給が始まった。1885年、鉄道が開通し、シドニーへの輸送が容易になった。第1次世界大戦後は、復員兵の入植地となった。現在、ヤング地方は羊毛だけでなく、チェリー園でも有名である。小麦は今でも重要な産品となっている。春にはチェリー(サクランボ)祭りが開かれ、にぎわいを見せる。「サクランボの都」として知られている。

 三木一太朗・藤川隆男0403