オーストラリア辞典
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Zeehan

ジーアン


タスマニア中西部、ホバートの293キロ北西に位置する。
人口:1,116(1996)、1,750(1981)、698(1954)、3,951(1911)、5,014(1901)、1,965(1891)。


 1964年にタスマンにより発見された山、ジーアン山から北5キロに位置する。その名はフリンダーズとバスがタスマンの旗船の名前から山を命名したことに由来する。1882年にフランク・ロングが銀・鉛の鉱脈を発見し、ジーアンの町が誕生した。1890年代にはとりわけ成長し、1898年にタウン、1906年に自治体となった。1900年代はじめ頃に人口は約8,000人までに膨れあがり、1908年には人口1万人、タスマニア第3の都市になったと言われている。ストローンStrahanとの鉄道は1890年、バーニーとの鉄道は1900年に開通した。1898年にオープンしたゲイエティ・シアターは一時オーストラリア最大を誇った。しかし資源の枯渇とともに町は没落していった。第1次世界大戦前に鉱山の産出量は減少し始め、1949年に新たな鉱床が発見されたが、これも60年代に閉鎖された。1960年代にジーアンの北東17キロに位置するレニソン・ベルでスズ採掘が再開され、これがジーアンの経済を支えた。町の東のダンダスは鉱山都市(人口1,080[1891])であったが、1914年までに事実上ゴーストタウンとなった。

 師井学・藤川隆男0203