第7回 定例研究会 (2012 / 09 / 21)


報告者: 鈴木 広和

ハンガリーの起源伝承 ― フン起源説 ―




 はじめに
  (1) ハンガリー人のフン起源説
      誤説 「 ハンガリー 」 の語源は 「 フン 」

  (2) 近代ハンガリーにおける政治的 ・ 歴史的意義
      近代ハンガリーにおいて、貴族の国民意識の構成要素としてのフン起源
      パンノニア征服の正当性の根拠

  (3) 歴史叙述では、18世紀末 〜 19世紀初頭には、好事家によるフン起源説の著作
      ハンガリー国歌 (1823年作詩) にもフン人祖先の名
      1864年 言語学者 Hunfalvy の著作が、フン起源を学問的に否定
        その後、言語学において 「 ウゴル・テュルク論争 」 があり、ウゴル系に決着
      それでも1860 〜 70年代には、依然としてフン起源説が一般に流布

  (4) 1970年代 ラースロー・ジュラの 「 二重征服説 」
      7世紀にパンノニアに入ったアヴァール人は、ハンガリー人である = 第一次征服
      9世紀のハンガリー人による征服は第二次征服

      「 トゥルル伝承 」 
         トゥルル (鳥) が族長の妃の夢に現れた結果、妃から優れた支配者が生まれることになった。
         息子の一人 Álmosa はアールパードの父。



T フン起源説の起源
  (1) カトリック世界
      キリスト教世界において、10世紀以降、ハンガリー人とフン人を同一視する、ないしフン人をハンガリー人の祖先とする見方が形成される
      1200年頃までには、この見方が定着する → この説が、ハンガリーの歴史叙述に

  (2) Magister P. (通称 Anonymus )
      ベーラ王の書記  〜 おそらくベーラ3世 (位 1172−1196 )
      Gesta Hungarorum (通称 『 アノニムスの年代記 』) 12世紀末頃の著作と考えられる

  (3) 12 〜 13世紀 ヨーロッパでは歴史叙述に一定の世俗化からの解放が進行
        編年史、年代記 → gesta 事績録
      中世の 「 国民 」 的歴史叙述
        Abbot Suger,   William of Mamusbury,   Henry ofHuntington,   Geoffrey of Monmouth,  デーン人 Sven Aggeson,
        ザクセン人 Saxo Grammaticus,  ノルウェー人 Snorri Sturluson,  ポーランド人 Vincent Kadlubek,  ハンガリー人 Anonymus ...
        Grands Chroniques de France



U Kézai Simon ( Simonis de Keza ),  Gesta Hungarorum  ( 1282 - 85 年頃の著作)
      国王ラースロー4世 (位 1272−1290 )の宮廷司祭
      イタリア (おそらくパドヴァ) 留学

      作品の特徴
        フン人とハンガリー人を同一視する
        ただし、アッティラの子孫は、ハンガリー王家ではなく、有力族長の一人にすぎない


      構成
          序文    Prologus
               フン = ハンガリー人の歴史を聖書に結びつけるための導入部

          第一書   Incipiunt Hunnorum gesta ....
               フノルとマゴル兄弟と、第一次パンノニア征服   【 資料 】
               フノルとマゴル (ケーザイの創作) 〜 フンとマジャル
                   鹿追いと、メオティス湿地の発見・移住
                   略奪婚 (オノグル・ブルガール族およびアラン族との関係) とスキタイの発見
               パンノニア征服
               アッティラの活躍

          第二書   Incipit secundus liber de reditu ....
               パンノニアへの帰還 ( 再征服 )
               アールパードに率いられたハンガリー人が再征服

          付記    De nobilibus advenis
               「 純粋でない 」 ハンガリー貴族と非貴族について


      ケーザイが利用した資料
        ヨルダネスなど、他国のフン、アッティラ関係の著作
        ハンガリーの既存の歴史関係の著作
        ハンガリーの口承
        西欧における自身の知識と経験

      ※ 自分の意図を表現するために、資料を自由に利用して作品を創作した



V 13 世紀ハンガリー王国、 ラースロー4世の概況

      1241/42年  モンゴル軍襲来
         ベーラ4世は、モンゴル軍の侵略から逃れてきたクマン人を王国に迎え入れる
         モンゴル軍撤退後、王子イシュトヴァーン (5世) とクマン人族長の娘が結婚
             →  息子ラースロー (4世) 誕生
      1260年代の内戦  国王 ・ 王子間の争い 〜 大貴族の党派争い
         中小貴族の政治意識の高まり
      1277年議会 ラースロー4世成人
         国王、高位聖職者、中貴族が協力して秩序の回復につとめる
      1278年  マルヒフェルトの戦い
         ハプスブルク家 ルドルフ王側で参戦、チェコ王 オタカルに勝利
      1279年  教皇特使による 「 クマン人問題 」 告発
           キリスト教に改宗し、異教的な習慣を止めて定住すること
           キリスト教徒奴隷の使用を止めること
         ラースロー4世と教皇特使の関係が悪化  →  ラースロー4世の破門
      1282年  不満を持った一部のクマン人が蜂起
         ラースロー4世は、これをホードの戦いで鎮圧
         教皇特使は去ったが、ラースロー4世は宮廷で孤立し、貴族の党派争いが再燃
      1290年  ラースロー4世死去



W ケーザイの意図
      対外的な主張
        (1) ハンガリー史をキリスト教世界の歴史の中におさめる
            第一章冒頭  大洪水の後、ヤペテの子孫メーンロート (ニムロード) がバベルの塔建設
              フノルとマゴルは、メーンロートの息子たち 

        (2) ラースロー4世ないしハンガリー王国の擁護
           ・マルヒフェルトの戦いで活躍
              「 聖なるカトリック教会の息子 filius sancte ecclesiae catholicae 」
           ・ホードの戦いで、クマン人を打ち破る
              残ったクマン人は、ラースロー4世に恭順の意を示す

      対内的な主張
        (3) ハンガリーの (平) 貴族の communitas とその権利の主張
              → キリスト教的な歴史観とは異なる、 「 国民 」 的な歴史 (民族史)
 
           スキタイにおける貴族 (自由民) 共同体
             純粋なハンガリー人の共同体は、指導者、国王を選出する
                〜 共同体の権限を国王に移譲した
             共同体のメンバーとして軍事的義務を放棄したものは、処刑されるか奴隷になる
                〜 非貴族ハンガリー人の起源

           ハンガリー王国の社会構成
             「 純粋なハンガリー人 」 と 「 純粋でないハンガリー人 」
             それぞれに 「 自由人 」 と 「 非自由人 」

        ※ 中小貴族の権利、国政における役割の強調
           cf. アーコシュの史書

      フン起源説を書いたアノニムス、ケーザイは、王家の歴史だけでなく、貴族の祖先についても記述した
        → 相対的にキリスト教改宗以前、王国成立以前の時代の重要性が増す



X ケーザイのラースロー4世に対する両義的な認識
      異教徒のアッティラとキリスト教徒のラースロー4世を並べている
 
      ラヴェンナでアッティラは教皇と会談
          ローマ略奪を中止し、アッティラを唆したアリウス派を虐殺する
        ≪ アッティラのように、ラースロー4世も教皇に従うはずだ、従うべきだ ≫

      母がクマン人 → 純粋でないハンガリー人
        このことは、明言しないが、周知の事実

      ハンガリー王国、ハンガリー人の名誉を守るためにはラースロー4世を擁護し、立派なキリスト教徒であることを主張しなければ
      ならないが、 「 純粋でないハンガリー人 」



むすび
     ・ ケーザイの著作に記された起源伝承は必ずしも王権の正統性を強化につながらない
     ・ 王家の正統性の主張には、むしろアールパード家の継承と、アールパード家の聖性の強調が用いられた
     ・ このフン起源説は継承されていく
      この説が大きな影響を残したのは、貴族共同体の権利を保障する説として

     ・ ケーザイの貴族共同体論と、後の 「 国民/民族 」 意識との相違
      ハンガリー貴族としての意識 (フンガルス意識) は、基本的に民族的出自とは無関係
      中世後半から近代まで続く傾向

     ・ マーチャーシュ王 ( 1458−1490 ) 「 第二のアッティラ 」
      マーチャーシュの王位正当化の方法
        従来、アールパード家の聖性は利用しなかったとされてきたが、これに対する疑義
        フン人、アッティラを自らに重ね合わせていた可能性
      この二つは、両立しうるのかどうか。


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