大阪大学西洋史学研究室

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文献の書き方info


文献の書き方

邦文文献(書籍)の書き方
著者・編者『書籍主題――副題』出版社、発行年
 東秀紀『漱石の倫敦、ハワードのロンドン』中央公論社、 1991年

邦文文献(翻訳書)の書き方
筆者(訳者)『書籍主題――副題』出版社、発行年
 M・J・ウィーナ(原剛訳)『英国産業精神の衰退――文化史的接近』勁草書房、1984年

邦文文献(雑誌論文)の書き方
筆者「論文主題――副題」『雑誌』巻号、発行年
 近藤潤三「フリードリッヒ・ナウマンのキリスト教社会主義思想」(1)『社会科学論集』(愛知教育大学)18、1980年

邦文文献(書籍所収論文)の書き方
筆者「論文主題――副題」書籍編者『書籍主題――副題』出版社、発行年
 有賀弘「アメリカ社会の発展と宗教――信仰再興運動を手掛りに」阿部斉他編『世紀転換期のアメリカ――伝統と革新』東京大学出版会、1982年

欧文文献(書籍)の書き方
著者・編者, 書籍主題: 副題, 発行地, 発行年
 Applegate, Celia, A Nation of Provincials: The German Idea of Heimat, Berkeley, 1990

欧文文献(雑誌論文)の書き方
筆者, “論文主題: 副題,” 雑誌名 巻号, 発行年
 Teuteberg, Jürgen, „Zur Sozialgeschichte des Vegetarismus,“ Vierteljahrschrift für Sozial- und Wirtschaftsgeschichte 81, 1994

欧文文献(書籍所収論文)の書き方
筆者, “論文主題: 副題,” in 書籍編者, 書籍主題: 副題, 発行地, 発行年
 Aldenhoff, Rita, “Agriculture,” in Roger Chickering, ed., Imperial Germany: A Historiographical Companion, Westport, Con./London, 1996





注における文献の書き方


 注において典拠となる文献を示す場合、大事なことは、
1. 形式や記載のルールができるだけ簡略である
2. 当該文献を、他の文献と混同することなく、一義的に示すことができる
という点である。
注における文献の書き方には、大別して以下の3つの方法があるが、以上の点に心がけて選択すべきである。



Ⅰ 著者・年代方式(ハーバード方式)
 もっとも簡略であり、また人文、社会科学の広い分野で行われているもっとも一般的な方式である。
 記載のルールは以下のとおりである。巻(章)末に文献一覧を設け、その略記を割注の形で本文中に記載する。記載の形式は、初出、再出を問わず、
(著者姓 発行年代: 頁)
である。ただし、単なる典拠指示以外に、本文を補足する論述を書きたい場合、本文に番号を付して注を設けることは当然である。


 信仰は身体性・儀式性を薄めて、より精神的・主観的なものと見られるようになった(石橋 1997: 89)。「宗教」に代わって「宗教心」が強調されるようになったのもこのころからのことである(阪急 1997: 45)。
つまり、キリスト教の神に尊崇をささげること自体よりも、高次な存在への敬虔さという心情そのものに比重が移ったのである(石橋 1997: 90)。それと歩調を合わせるように、脱教会化が進行した(豊中 2000a: 25)。 1 人々は、礼拝や聖餐式から次第に足が遠のくようになった。たとえば、聖餐式への出席率は、ベルリンやハンブルクなどの大都市の場合、
18世紀からの百年間にほぼ10分の1に激減した(待兼他 1999: 34-39)。 世紀転換期のハンブルクの例だが、新生児のうちで受洗した者は73%にすぎなかったし(Jones 2001: 23f.)、
全結婚件数のうちで教会婚は84%にすぎなかった(Smith et al. 1989: 45ff.)。
1 脱教会化と脱キリスト教化については、厳密に区別する必要がある。この点に関する池田次郎の主張(池田次郎 2001: 45f.)は注目すべきである。
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【文献一覧】 1. 池田一太郎「フランス農村における宗教生活」『フランス近代史研究』12(1975)
2. 池田次郎「世俗化・脱教会化・脱キリスト教化」川西能一編『宗教と歴史』(岩浪書店、2001年)
3. 石橋渡「歴史における世俗化とその具体的形態」『宗教史学研究』(1997)
4. 豊中太郎「19世紀末ヨーロッパにおける脱教会化」『歴史研究』24(2000a)
5. 豊中太郎「20世紀ヨーロッパにおける宗教と近代国家」『阪大史学論叢』3(2000b)
6. 阪急鉄男「世俗化過程における『宗教心』の発生」『史学論及』(1997)
7. 待兼三平/箕面四郎「19世紀末ヨーロッパの大都市の信徒生活の実態」『歴史』46(1999)
8. Jones, Robert, Secularization in Hamburg, London 2001
9. Smith, George/Edward Livedoor, “Religion in the Peasant Life,” in Past and Future, 24 (1989)

備考
 注は総じて、文尾の句点の前に置かれることが多いけれども、むろん、必要に応じて文中のどこに置いてもよい。
 f.は、「その頁から次頁まで」を意味する。
 ff.は、「その頁以下」を意味する。
 典拠頁の始まりと終わりは、xx-yyで示す。
 et al.は「その他(の筆者)」を意味する。
 同一著者に複数の文献があるとき、文献一覧の発行年次にa、b、c…などを付して区別する。
 著者名は原則として姓を挙げるだけでよいが、同一姓の著者がいる場合には、混同を避けるために名まで挙げる。
 複数の著者による共著文献は、注では「他」やet al.を使って簡略に書く。



Ⅱ 著者・簡略書名方式
 記載のルールは比較的簡略だが、典拠指示をすべて注に置くのでやや煩雑である。また、文献一覧を別途設けるとすれば、それと書誌情報面で重複するところが大きいので、スペース面でも問題である。
 記載のルールは以下のとおりである。文献は初出時には通常どおり記載する。二回目以降は、それを簡略化した形で記載する。具体的には、
著者姓、簡略化した書名、頁
という形である。


 信仰は身体性・儀式性を薄めて、より精神的・主観的なものと見られるようになった。1 「宗教」に代わって「宗教心」が強調されるようになったのもこのころからのことである。2 つまり、キリスト教の神に尊崇をささげること自体よりも、高次な存在への敬虔さという心情そのものに比重が移ったのである。3 それと歩調を合わせるように、脱教会化が進行した。4 人々は、礼拝や聖餐式から次第に足が遠のくようになった。たとえば、聖餐式への出席率は、ベルリンやハンブルクなどの大都市の場合、18世紀からの百年間にほぼ10分の1に激減した。5 世紀転換期のハンブルクの例だが、新生児のうちで受洗した者は73%にすぎなかったし、6 全結婚件数のうちで教会婚は84%にすぎなかった。7

1. 石橋渡「歴史における世俗化とその具体的形態」『宗教史学研究』(1997)、89頁。
2. 阪急鉄男「世俗化過程における『宗教心』の発生」『史学論及』(1997)、45頁。
3. 石橋、世俗化、90頁。
4. 豊中太郎「19世紀末ヨーロッパにおける脱教会化」『歴史研究』24(2000)、25頁。脱教会化と脱キリスト教化については、厳密に区別する必要がある。この点に関する池田次郎の主張は注目すべきである。同「世俗化・脱教会化・脱キリスト教化」川西能一編『宗教と歴史』(岩浪書店、2001年)45~46頁。
5. 待兼三平/箕面四郎「19世紀末ヨーロッパの大都市の信徒生活の実態」『歴史』46(1999)34~39頁。
6. Robert Jones, Secularization in Hamburg, London 2001, pp.23f.
7. George Smith /Edward Livedoor, “Religion in the Peasant Life,” in Past and Future, 24 (1989) pp.45ff.



Ⅲ その他の方式
 歴史学界では、旧来の典拠指示方式を使う研究者もまだ少なくない。特殊な研究分野ではこの方式に従う意味もあるが、以下の理由から、一般的には推奨できない。まず、典拠指示をすべて注に置くので煩雑さをまぬかれない。また、Ⅱの方式の場合と同じく、文献一覧との重複というスペース面の問題もある。
 もっとも大きな問題は、記載ルールの煩雑さである。たとえばまず、邦文文献と欧文文献では記載ルールが異なり、別々に覚える必要がある。また、邦・欧どちらの場合にも、文献再出時の記載に特別のルールがある。つまり、Ⅱの方式とは異なって、再出時の状況に応じて記載法が異なるのである。 とくに欧文文献の場合、ラテン語由来の略号(ibid.、op.cit.など)を使うが、その使い方も煩雑である。 さらに場合によっては、文献の言語ごとに異なる指示方式(たとえば、ドイツ語文献ではa.a.O.など)を求められることがある。
 もっとも、この方式を必要とする場合もあるので、その場合には教員に個別に指導を受けるとよい。