第10章 ナショナル・シンボル

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ワトル記念日は九月一日

最後のページはナショナル・シンボルについて書いてみました。ここにクジラも入れようかと迷ったのですが、クジラについては英語で書こうと思っています。項目はトップの項目です。日本にもワトルの愛好会があり、オーストラリアも時々訪問しているようです。私はキャンベラの植物園でその団体と出会いました。オーストラリア軍が占領軍として中・四国方面に展開して以来の縁のようです。

 ワトルとは、アカシア科の常緑樹で、日本ではミモザと呼ばれている植物です。オーストラリアでは、どこでも見ることのできる植物で、その一種ゴールデン・ワトルは、一九八八年に国の花に指定されています。一九八四年に、おそらくこのワトルの色を意識して、緑色とゴールド色(実際にはオレンジ色)が国の色に指定されています。ラクビーのワールドカップに出場したオーストラリア代表は、この二色のユニフォームを着けてプレイしました。

 オーストラリアの南部では、ワトルの黄色い花(ほとんどのワトルの色はオレンジというよりも黄色です)の開花が春の訪れを告げます。キャンベラのように、内陸で、比較的寒い冬を持つ地域では、ワトルが春先の話題の中心です。日本の桜と共通するところがあります。

 二〇〇二年一〇月一二日、百人以上のオーストラリア人が、バリ島のディスコでの爆弾テロの犠牲者となりました。犠牲者の遺族は、ワトルの小枝を胸に挿し、連邦議会における追悼式に参列しました。ワトルは、テロの犠牲者が、国によって戦争の犠牲者と同じレベルに引き上げられたことを暗示しています。自然は、人間の意図とは関係なく存在しますが、それが人間によって意味を与えられることで、国家や国民性の象徴となります。ワトルはそのよい例です。

オーストラリア出生者協会ANAは、連邦運動を推進したナショナリストの団体として知られています。一八八九年に南オーストラリア副代表が、「女性の間に愛国的な感情を醸成するために」、ワトルの花連盟を結成することを提案しました。ヴィクトリアでは、ANAを中心に、ワトル協会が結成されました。二〇世紀にはいると、ニューサウスウェールズでも、ワトル記念日連盟が結成され、一九一〇年からこの三州で、九月一日にワトル記念日が祝われるようになります。

第一次世界大戦中には、ワトル記念日は戦争に最大限に利用されます。赤十字などを中心に、ワトルの花を利用した戦争支援の募金が大規模に展開されました。ニューサウスウェールズでは、ワトルの開花時期と募金活動とを一致させるために、記念日が八月一日に繰り上げられました。しかし、第二次世界大戦を経て、ワトル記念日は忘れられてしまいます。

なぜナショナル・シンボルに、イースターウサギは悪漢(ビルビーという動物知っていますか)、ブラッドマン記念館へようこそ、スポーツ・ナショナリズムの意味、国立博物館はいつできるの、なぜナショナル・シンボルが必要か、王制か、共和制か、ウールルーに登りますか、恐怖政治の行方です。

その後のワトル記念日については本のほうで。

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