第4章 美しい伝統を求めて

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猫に紅茶を

この章では、オーストラリアに根づくイングランド的伝統について考えてみました。本のタイトルになった項目を例として挙げておきます

 ブリスベンを北に車で一時間ほど行ったところに、観光の名所ビッグ・パイナップルがあります。そこから一〇分ほどのパーム・ウッズ村にあるジーンの家に泊まっていたときのことです。妻が納得のいかない顔をして、私のところに来て「三時過ぎに猫に紅茶を与えるように」ジーンに頼まれたと言います。妻は香港出身で、子供のころから英語を話し、私と一年間オーストラリアにも滞在しましたが、この表現は初めてのようでした。ちなみに家内のほうが英会話は上手です。

もちろん、生活習慣が違うといっても、オーストラリアの猫も紅茶は飲みません。実は、オーストラリアでは、ティーという言葉が、紅茶にも食事にも、果ては猫のえさにも使われるのです。ところで、妻がこんなありきたりの表現を聞いたことがなかったのは、オーストラリアでは、階層によって異なる英語が話されているからです。

オーストラリアは、多文化社会といっても、現実には人口の八〇%は英語しか話せません。また、人口の九七%は英語を話す、英語社会です。オーストラリアが英語社会になったのは、オーストラリアへの移民の大多数が、長年にわたってイングランドやスコットランド、ウェールズ、アイルランドからの移民で占められてきたからです。数え方にもよりますが、とりわけイングランドからの移民とその子孫は、現在の人口の半分近くを占めています。イギリスの英語が文化の基底をなしている所以です。

オーストラリア英語は、ロンドンの下町の英語コックニーがもとになっているとよく言われます。マイフェア・レディの主人公イライザの話すようなイースト・エンドの英語です。ロンドンを中心とした地域からの移民が多かったことから、この地域の労働者階級の発音や表現が、オーストラリアの庶民の言葉に多く取り入れられました。Aの発音がアイになるのはその典型です。エイトがアイト、トゥディがトゥダイと発音されます。ティーが夕食を意味するのもその一例です。

ところが、オーストラリアが取り入れた英語はこれだけではありませんでした。中上流階級は、イギリスの標準英語、クィーンズ・イングリッシュを熱心に取り入れました。ヒギンズ教授がイライザに「正しい英語」を教えたように、中産階級の両親や、大学や私立中高校、公共放送ABCは、クィーンズ・イングリッシュの継承に力を注ぎました。クィーンズ・イングリッシュの世界にいる限り、猫に紅茶を与える機会には恵まれないのです。

最近はアメリカ英語の流入が顕著ですが、オーストラリア文化の根底には重層的なイングランドの伝統があります。イングランド文化の伝統とそのオーストラリアへの移植の過程を、一九世紀半ばを背景に見ることにしましょう。

ところで、ビッグ・パイナップルの正式名は、サンシャイン・プランテーションです。一般に目印となる巨大なパイナップル型の建物からビッグ・パイナップルと呼ばれます。パイナップル農園と動物園などを組み合わせた観光施設で、身近に動物と触れ合うことができます。また、パイナップルの栽培を紹介するツアーもありますが、最近は経営難に陥っているようです。

その他の項目は、モーニング・ティー(メルボルンに住む香港の家内の友人が登場します)、ホームとポミー、中産階級の天国、スピーカーズ・コーナー、バッテリー・ポイント、グリーブ、船旅、羊の背に乗った国、ピン博物館です。

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