第16章 もう1つのオーストラリア
−保守主義の伝統−

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要約

19世紀後半になると、牧羊業を支配していたスクオッターや伝統的な支配者層は植民地の下院では少数派に転落し政権の座から遠ざかった。その代わりに、上院の多数を占めて、下院を通過した改革法案を否決したり、大幅な修正によって骨抜きにすることで、民主的な改革を妨げたり、変化のスピードを遅くしたりした。このような下院と上院の対立は各植民地の議会でしばしば見られた。

1890年の社会変動はこのような勢力配置に大きな変動を引き起こした。労働党の登場がリベラル派の分裂とあいまって、より広い支持基盤をもつ保守主義の再結集をもたらした。オーストラリア連邦が成立すると議会では保護貿易派、自由貿易派、労働党の3派勢力が拮抗する状態が生じた。

また、元来急進的な傾向が強かったオーストラリアの内陸農牧羊地帯の住民の多くは20世紀にはいると自営農民に変わっていった。それによって、19世紀末にニューサウスウェールズで結成された農場主及び入植者教会のような組織が各州で生まれ、メトロポリスに対抗して農村地帯の利害を主張する地方党の結成につながった。

第二次世界大戦語の冷戦期は、1949年から66年まで続く地方党と連立した自由党のメンジース長期政権の時代であった。この政権は帝国と国王への支持を掲げ、プロテスタント的・中産階級的なアングロ・スコティッシュな価値観を標榜する最後の有力な保守政権であった。

そして、新自由主義あるいは新右翼と呼ばれる集団が1983年にマルコム・フレイザが政権を失ったころから自由党内に台頭し始める。新自由主義の特質は、その効果としては相容れない経済合理主意義と倫理的保守主義の両方を内部に抱え込んでいたことであった。

用語解説

感想

この新自由主義の理念は現代に至るまでオーストラリアに限らず多くの国に広がっている。それゆえに、もう一度この思想についてその発生から問い直してみることは非常に有意義であると思われる。

コメント 新自由主義や新保守主義は世界的現象なので、興味深い研究対象です。


現在の首相ジョン・ハワードは、新自由主義に属する政治家である。オーストラリアでは、保守主義が内側に新しい要素を取り込みながら、現代まで根強い影響力を持ってきた。 特に近年の新自由主義は、欧米や日本など世界的な動向の中でも捉えられる現象であろう。構造改革と伝統的価値観の擁護をめざす新自由主義の特徴は、現在の日本の政治状況にもそのままあてはまる。複雑なアイデンティティをもつオーストラリアにおける保守主義の動向には、今後も目が離せないであろう。

コメント そうかもしれない。


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