第19章 アジア・太平洋国家への挑戦
−大国依存外交の枠組みを超えて−

前の章へTOP>第19章|次の章へ

メニュー

要約

オーストラリアの多文化社会化とアジア・太平洋国家化は、多かれ少なかれ日本との関係が影響している。イギリスへの従属は第2次大戦まで続いていたが、東南アジアでのイギリスの敗退と、日本軍によるオーストラリア本土への攻撃によってイギリスの弱体化を認識したオーストラリアは、アメリカとの政治・軍事・経済的関係を強化し始め、その流れは戦後にも続くこととなる。戦後には日本との関係も次第に強化されていき、それがオーストラリアのアジア・太平洋国家化をさらに促進した。オーストラリアのアジア・太平洋国家化は戦後を通じて直線的に行われてきたわけではない。白豪主義政策の本格的廃止とアジアとの政治・外交関係の強化は、ホイットラム労働党政権の登場を待つこととなる。その後の政権も段階的にオーストラリアのアジア・太平洋国家化と多文化主義を進めてきたが、現ハワード政権に到ってそれらはブレーキをかけられることとなった。

用語解説

感想

白豪主義政策から多文化主義への以降は航行の地理等でも習っていたが、この移行を第二次世界大戦から冷戦やインドシナ半島の共産化、アジアの経済発展などと関連させながら歴史的なものとして理解できた。アメリカとの関係が戦後も重視されていたのは、敗戦したにもかかわらずいまだ日本を軍事的脅威とみなしていたのが原因であったことは、私の日豪関係史に対するイメージに強い衝撃を与えた。

現在のハワード政権はホイットラム、フレイザ、ホーク、キーティングといった一連の政権とは明らかに一線を隠した政権であると思われるが、それはやはりオーストラリアの保守化に原因があるであろう。アメリカの「ネオコン」をはじめ、日本などでも保守化の傾向が見られる。現在の世界を考える一つのキーワードに保守化があげられると思う。なぜ世界的規模で保守化の傾向が見られるのだろうか、という疑問を持った。

コメント アメリカへの追従という意味では、オーストラリアの外交政策に大きな変化はないと思う。ミドル・パワー外交というものがはやったことはあるが、実質というよりはレトリックと考えたほうがいいよ。『オーストラリア歴史の旅』で予言した(かっこいい)ように、労働党のホークは湾岸戦争にすぐに参加を表明したからね。レイサムはどうだろう。興味深いね。


TOP 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20