第8章 金が作り上げた世界
―ゴールドラッシュ―

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要約

1850年代にオーストラリアでも金が発見された。その中心地はヴィクトリアであった。多くのものが自分の仕事を投げ出してまでも金を採掘しにいった。また、オーストラリアに来る移民の数も激増した。1861年のヴィクトリアの人口は1851年の7倍の54万人にまでなった。その中には、英国人だけでなく、その他の国のヨーロッパ人、アメリカ人、中国人などの外国人も多く含まれていた。特に中国人は4万人もの人が渡豪し、最大の外国人集団を形成した。鉱夫やその家族の生活は厳しく、非衛生であったため病気になる人が多くいた。さらに泥棒や夜盗が存在し危険な地域でもあった。しかし、金鉱町は植民地内の産物や製造品の市場となり、商人は多大な利益を得た。だが地表面付近の金が急速になくなると、金の採掘は大型機械を必要とし、個人や集団の採掘は減少した。それにつれて倒産や失業も増加し、鉱夫は都市に戻り定住した。

1854年までに採掘許可料の値上げなどに反対し抗議活動をするようになった。そして選挙権をも求めるようになった。1850年代後半にはヴィクトリアではすべての成人男性に選挙権が与えられた。また各植民地で自治政府樹立の動きが起こった。また肉や小麦などの需要から農業も発達し耕作地が急増した。内陸地には新たな道路、鉄道、電信線が建設され海岸部の都市と結ばれるようになった。その建設に必要な橋や電信線を地元の会社が始めたため産業も発達した。

用語解説

感想

金というのはいつの時代もすごい力をもっているのだなと感じました。歴史に「もし」はないけれども、もしオーストラリアで金が発見されなかったら、人口も増えず、外国人の移民による他民族化もなく、農業や産業も急速には発達しなかったと思います。金がオーストラリアの発展を助長したということを考えると、オーストラリアに金があったことはとても幸運だったと思います。いまから発展しようとする時期に発見されたことで余計に金がよく働いたと思います。

コメント 現在は金の影響力を過大評価しない考え方が主流です。金の発見は歴史の動きを加速しましたが、その方向を変えることはなかったと言えるでしょう。


19世紀半ばに起こったゴールドラッシュは、オーストラリアに民族的な多様性をもたらした。金の産出量が落ちる頃には中国人への攻撃も増加している。それと同時に、鉱夫たちの権利を求める運動も盛んであったようである。多様な民族的背景を持つ鉱夫たちはどのような集団を形成していたのであろうか。また、そこで彼らの結合を支えていた意識はアイルランド人の戦略に通じるものがあるのだろうか。

コメント 金鉱夫たちは民族ごとに別れて金の採掘に従事する場合が多かったようです。同じアイルランド人でも、出身地が異なれば、激しく対立が起こることもありました。


アメリカのゴールドラッシュに興味を持っているので、オーストラリアにおけるゴールドラッシュの話もとても興味深く、勉強になった。アメリカにおけるフロンティアという概念は、オーストラリアではどのようであったか、さらに知りたくなった。

コメント ラッセル・ウォードがAustralian Legendという本でターナーのフロンティア理論を適用したよ。今も人気の本だ。批判も多いけど。


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