第14章 白人とネイティヴのカテゴリーをめぐって
−ドイツ統治下のサモア−

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要約

南太平洋上の小群島サモアには、アファカシと呼ばれる人々がいる。アファカシとは英語でいうハーフカーストのことであり、現在こう呼ばれる人々は欧米系の混血の子孫である。この章では、主にドイツ統治下のサモアにおける人種政策に焦点を当て、その中で翻弄されてきたアファカシの問題を検討している。

サモアでは1830年に宣教師が来島して以来、西欧との本格的な接触が始まった。性的に開かれた社会であったサモアでは、移住してきた様々な国籍の白人男性とサモア人女性の間に、多くのハーフの子孫たちが生じていく。その後、1899年にサモアは東西に分割され、西サモアはドイツ領、東サモアはアメリカ領とされた。

ヨーロッパ人が新世界や太平洋に進出していった目的の一つは経済開発にあり、サモアにも多くのプランテーションが開かれた。プランテーション労働力として、1884年にメラネシア人労働者、1903年には中国人労働者の導入が開始され、多国籍の人々が入り混じる国際社会の様相を形成していく。

こうしたドイツ領サモアでは、外国人移入者やハーフが多く住んでいた首都アピア市内とその延長のプランテーションではドイツ領事法が適用され、それ以外の土地においては土着のサモア人の自治が行われるという、二重構造が成り立っていた。植民地政府の初代長官ゾルフは、こうした二重構造をそのまま踏襲して身分と権利の構図を取り決め、白人の身分を有するものはドイツ領事法に従い、ネイティブはサモアの慣習にのっとって生活を営むこととする。しかしこの時の人種分類では、生粋のサモア人でも、白人の男性と正式な結婚をしている女性は、白人のカテゴリーに入れられたり、年季契約労働者の中国人がネイティブなのに対して、商人として入国した中国人は白人カテゴリーに入るなど、現代から見ると奇妙な点が多かった。同じハーフでも、欧米の法制的手続きを経ているハーフは白人であり、それをしていないハーフはネイティブなのである。しかもこの人種政策は、その時々の状況によっても変化した。ハーフの増加が著しいためにハーフに白人身分が与えられることが制限され、増加する非ドイツ系住民のハーフにイニシアチヴを握られる危険性を心配して、異なる人種間に生まれた子供に父親の身分継承を認めないという制度も導入された。一方で、男性に比べて少ない白人身分の女性を確保するため、文化的テストをパスすれば白人身分を認めるというルールも設けられていた。

このように、帝国の辺境では、住人の間の国境は、統治の都合で揺れ動いていた。人種分類は身分や適用される法律を決めるものであり、生物学的要因によってされたものではない、ということを、この事例は明確に示しているのである。

用語解説

感想

白人という分類が生物学的要因によってされたものではなかったという点は興味深かった。しかし、アファカシという言葉が欧米系の混血の子孫のみを指すように、人々の間では生物学的な分類もかなり意識されていたのではないだろうか。制度的な白人、ネイティブの分類が、実際の生活にどれくらい影響していたのかということをもう少し説明して欲しいと思う。

コメント 問題は、純粋に生物学的な分類がないということだと思うよ。生物学的なものと文化的・社会的なものが表裏一体になっているところが問題なんだと思う。


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