第17章 映像文化と白人性
−テレビのなかの民族とイメージ−

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要約

近年、メディアや映像表現の領域で白人・白人性を検証する研究が進んできている。

実証的な統計調査法を用いた内容分析研究が、1960年代から70年代にかけて盛んに行われてきた。アメリカにおける内容分析研究の礎は、テレビが登場した1950年代にさかのぼる。「白人以外」の民族集団がメディアにおいて不在であることが報告されており、テレビという新しい世界も、他のメディアと同様に「白人」中心の世界であったことを知ることができる。

1960年代になると、公民権運動を背景として、テレビにおけるアフリカ系アメリカ人の描写に関する研究が盛んに行われはじめる。メディアにも社会運動の成果が現れ、アフリカ系アメリカ人の描写は改善されたが、それは「黒人」が「白人」のテレビのストーリーのなかで、「白人」の役割を演じたに過ぎないという批判がある。

1970年代に入ると、フェミニズムやウーマンリブの運動の高まりのなかで、メディアの人種表現の研究が、ジェンダー研究と融合しながら進められている事例が見られる。アフリカ系アメリカ人の描写は人口比と対応せず過少のままで、その他のマイノリティの描写は減少した。さらに、テレビドラマのなかの女性の増加傾向は、白人女性に限られたものであった。

1980年代のマスコミ研究の関心は、メッセージ内容が子どもの社会化に及ぼす影響や、メディアが人間観行動やアイデンティティに及ぼす長期的な影響にむけられた。メディア表現の実証的研究は、文化的多様性の検討という目的をともなって行われている場合が多いが、公衆衛生の理念と研究テーマが接合しているのは明らかである。

アメリカ・メディアのグローバルな広まりが、文化的多様性というグローバル・スタンダードの要請という価値観を伴ったとき、世界のローカルのメディア表象には、白人のマスキュリニティが反映しているのかもしれない。

用語解説

感想

内容分析研究の流れはよくわかりました。ただ、そのような内容のテレビドラマやCMを実際に見ていた人はどのような人であったのか、ということは書かれていなかったので疑問に思いました。白人が一家に一台テレビを持てるようになったのはいつ頃か、エスニックマイノリティの場合はどうか、といった視聴者側の分析があってもよいのではないかと思いました。例えば、メディアのなかの黒人表現が問題となる1960年代に、実際にどれほどの黒人がテレビを見ていたのか、黒人にどの程度テレビが普及していたのか、黒人の給与はどの程度でテレビを買える環境であったのか、などへの言及も必要なのではないかと思います。

コメント 受け手の問題は批判しやすいね。歴史研究者は当然社会的文脈に目が行きますね。


「メインストリーム・カルチャー」「グローバル・スタンダード」など、カタカナ表記が沢山出てきたのですが、これらは専門用語なのであえてカタカナ表記されているのでしょうか。カタカナが多いと読みにくく感じるので、もし専門用語でないのならば日本語で書いてほしいと思いました。

コメント 縦書きではカタカナは読みにくいかもしれませんね。西洋史研究室での縦書きと横書きの好みの調査では半々でしたね。男性陣に縦書きを好む人が多かったようです。日吉さんはカタカナ好きです。メディア関係ですから。


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