第21章 「白人であってそうでない」者たち
−イギリスのインド支配と白人性の境界−

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要約

英領インドでは、ホミ・バーバが示したようなベンガル人エリートだけでなく、土着化した貧しい白人や、白人の血を父系に継ぐ「ユーラシアン」も「白人であってそうでない」性質を持っていた。

 後期英領インドでは、「白人たること」は「支配者たること」と同義であった。しかしこのような「白人性」は脆弱なものであり、それを保つためにはインド永住、非白人との混血の回避などが必要であるとされた。

 しかし、実際にこのような「白人性」の構築は、当初から実現が困難であった。実際の白人社会には、永住白人や混血者の占める割合が非常に高かったのである。支配層のイギリス人は彼らを「インド現地人」として差別的な扱いをした。ここでは、「支配者たる白人」であることの基準が「本国」で教育を受けたか否かに置かれた。

 しかし、このような差別にもかかわらず、定住階級の人々は常にイギリスへの帰属を表明していた。したがって、支配者側は、単に定住階級を排除するのではなく、特殊な形で包摂することを余儀なくされた。

 真っ先に挙がった方策は、植民地現地における学校教育である。定住白人やユーラシアンの失業を食い止めるには、学校教育による識字と基本的職業技能の普及が不可欠とされたのである。しかし、このような取り組みも、安価なインド人労働力の需要拡大と、公務員採用における本国生まれのイギリス人の優遇という流れの中、失業問題の解決には遠く及ばなかった。

 こういった過程の中で、定住白人とユーラシアンのステレオタイプも固まっていった。定住階級は自分達が白人の血を受け継いでいることに対し自意識過剰であり、そのことが彼らの勤労への志向を妨げている、と考えられたのである。このような定住白人の性格矯正のためには、コミュニティそのものを植民地の社会的コンテクストから切り離す必要があると考えられた。そこで、特に若い男子を軍事・海洋訓練へ参加させる案や、定住階級を北部や中部の山岳地帯に移住させる案、さらには、オーストラリアやニュージーランドに移住させる案なども提案された。

 後期英領インドでは、「本国育ち」/「植民地育ち」という区分を抜きにして「白人性」の問題を考えることは出来ない。また、「白人性」の問題は、「他者」を支配する植民地主義の構造の中で、白人という自己の内的矛盾を示しているのである。

用語解説

感想

後期英領インドの例を見てもわかるように、人種を規定する条件は、外見的要素(遺伝的要素)だけではない。ここに現在の人種差別問題を考える鍵があるのではないだろうか。様々な条件によって人種が規定されるということは、人種を規定する主体が人間であるということを示している。非常に困難な道のりではあるだろうが、人間が作ったものを壊すことが出来るのも、また人間なのではないか。

コメント ほんとうに自然に見えるがゆえに、それに基づく区分が正当化されてしまいやすい身体的要素が、根本的なところで文化的に規定され、人間の尊厳を侵していくことが問題です。さらにそれがもっとヴァーチャルになると、どうなるのか。ここはわかりません。わかっていれば。


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