第4章 白人性と表象 / ジェンダー
―先人の遺産―

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要約

文学の世界、学問の世界、映像の世界において、白人性は、人類の規範を体現した、正常性の規範として機能している。たとえばアメリカの「フレンズ」、「ER」といった番組が挙げられる。これらは白人中心に作られているが、人種差別番組であると言われることはなく、むしろ白人性の表象は自然な形で受け入れられている。しかし、それは表象の生産者の意図とは関係がない。ますます透明になり、人間性の象徴となった白人性が日常的な表象のなかで構造的に再生産されているのである。

 文学では、アフリカ系アメリカ人トニ・モリソンが白人研究の代表者として挙げられる。彼女は「白人性の発明と発展が、大まかにアメリカ的と描写されるものの構成に、いかなる役割を果たしてきたかを」探求した。モリソンはアメリカのアフリカ人の表象が、1,アメリカ人の自己認識に用いられ、2, 近代化を示し、3,白人性の輪郭を明確にし、創造し、4,人間性に関する考察に用いられているという。

黒人の白人表象を扱ったのが、アフリカ系アメリカ人フェミニスト、ベル・フックスである。フックスは、白人との接触が少ない時代の合衆国の黒人が共有した白人性は、亡霊、野蛮なもの、恐ろしいものと結び付けられており、黒人とは切り離された他者としての性質であるとした。フックスは白人の人種支配の痛みや苦悩への反応から生まれた白人性の表象の必要性を説く。

映像の領域では、ダイアーが挙げられる。ダイアーによれば、正常であるという規範に基づく現在の白人性を考察し、正常性も構築されたものであると議論する必要がある。ダイアーは、白人はカテゴリーではなく、あらゆるところに存在する「事実」なので、それを白人として分析できないという。

ジェンダー研究でも白人性への関心は高まった。フックスは、女性という普遍主義的な言説が、実は白人・中産階級の立場を体現したものであることを示した。また、ヴロン・ウェアなどが中産階級女性の白人性の意義を強く主張し、フェミニズムの運動家や研究者たちの見えない白人性、正常化され規範化された権力的な立場を批判した。

用語解説

感想

表象に見える白人性がいかに正常として機能しているのかを、この章で理解できた。しかし、テレビや映画で白人という存在が透明になっていると主張に対し、その白人の中にも様々なキャラクターが存在すると思うのですが。例えば、「スクリーム」のような映画などでは、主に白人が登場しますが、その「白人」が猟奇殺人者だったり、脇役の黒人が味方だったりすることはどう解釈されているのでしょうか? 白人の中にも、黒人と比較しても「規範的」ではない存在と見なされる人々、身体に規定された白人性は確実に所有しているが、ある種の危機的白人性を所有する人もいるし、彼らは表象においては「白人性」をもたないのでしょうか。3章で解説されているように、エスニシティではなく、白人であることをアイデンティティとする世代の中にも差異があって、一概に白人性を無感覚に共有する人々だとも言えないように思うのですが。白人性=正常性なら、正常だと見なされない白人はどう見なされるのか・・・そして、そういう人々も含む表象を白人性だとひとくくりにできるのでしょうか。

また、ジェンダーと白人性では、白人中産階級のアイデンティティと女性運動が不可分だったという問題提起は興味深かったのですが、白人中産階級以外の白人女性は、オーストラリアで言えば先住民や有色人種の人々からは、白人性を持つが、白人中産階級からは「白人性」をもつと考えられていたのか・・・。やはり、正常性と白人性が同一には思えず、疑問として残っています。つまり、根本的に「正常性」とは何なのかが、私には分かりませんでした。

コメント 最初に、白人という自明な存在はないという前提に立たないと、この議論はわかりません。正常性を失った「白人」は、異常だとみなされるとしか言いようがありません。そして、「人種の裏切り者」を標榜する人々にとっては、こういう白人の中の極右の若者こそが、白人性の支配する正常性を打破するのに最も近い場所にいるとされます。それから、すべてのものを含む白人性があって、それがすべての表現活動を規定しているのでもないでしょう。ダイアーが取り上げた例も、それを示しています。第一、表現活動を解釈することは、個々人による恣意的な活動です。白人性の考え方も一つの見方にすぎません。世界の根本原理に到達することなどはできないのです。また、根本的に正常なものなど存在しないのです。


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