卒業論文・修士論文の題目を紹介します(現在2000年度以降のみ) |
修士論文 | 温彬 | 世阿弥芸論における「一心」−永明延寿との関わり− |
佐々木美里 | 旧著作権法と演劇−明治・大正期の訴訟を中心に− | |
瀧尻浩士 | 『富島松五郎伝』研究−森本薫脚色とその上演について− | |
馮縁 | 宝塚歌劇におけるマンガ翻案作品 −昭和『ベルサイユのばら』の人物造形を中心に− | |
右田誠弥 | 長谷川伸の劇空間−『一本刀土俵入』を中心に− | |
卒業論文 | 鵜河穂 | ミュージカル『マイ・フェア・レディ』(1956) と『ピグマリオン』(1913)の比較研究 |
佐藤知果 | 全体主義から社会を見つめる演劇 −ハイナー・ミュラーのテクストを通して− | |
遠藤敦子 | 松島慶三の劇作品研究 | |
佐藤勇輝 | アメリカにおけるブレヒト叙事的演劇の受容について −『母』ニューヨーク公演(1935)を中心に− | |
山内日菜子 | 「演劇センター」(1968‐1971)による演劇の革命 |
修士論文 | 工藤 春菜 | 蜷川幸雄の「歌舞伎」演出−『NINAGAWA十二夜』(2007)を中心に− |
宮本 蕗 | デイヴィッド・グレイグ作『ヴィクトリア』の劇構成 | |
卒業論文 | 小國 真奈 | 宝塚歌劇団の海外公演研究 |
CHO HWAJEONG | 平田オリザ作『ソウル市民』三部作における ディスコミュニケーション | |
工藤 舞弥 | 野田秀樹『THE BEE』論 | |
廣嶋 萌衣 | 如月小春『DOLL』(1983)の少女性 | |
矢口 奈津実 | 三島由紀夫の歌舞伎観 |
修士論文 | 杉本 亘 | 能楽民衆化の展開−明治から昭和初期における劇場・公会堂上演を中心に− |
卒業論文 | 清田采花 | ブロードウェイ・ミュージカル『アベニューQ』(2003)と題材構成 |
黒田美音 | 鈴木忠志と「富山県利賀芸術公園」 | |
白川美咲 | 唐十郎作『ジョン・シルバー』論 | |
長田美那子 | 維新派の演技論−『トワイライト』(2015)を中心に− | |
丸岡いづみ | 劇団「ク・ナウカ」の二人一役−『エレクトラ』(1997)を中心に− | |
右田誠弥 | 長谷川伸における家庭の表象−昭和3年〜6年の「股旅物」を中心に− | |
川井秋穂 | 能《小鍛冶》をめぐる諸問題−刀剣「小狐」伝説の系譜整理を中心に− | |
中井ともこ | 写し絵の独自性に関する研究−大阪における錦影絵の特徴に着目して− |
修士論文 | 中岡愛 | 巖谷小波のお伽狂言−執筆目的の変遷をめぐる考察− |
卒業論文 | 中野聡美 | 近松門左衛門『曽根崎心中』−お初の人物造形と戯曲構造− |
西田悠哉 | つかこうへい『熱海殺人事件』の変遷とその意義 | |
宮本蕗 | スコットランド国立劇場『ブラック・ウォッチ』論 |
修士論文 | 上島万理恵 | マリヴォー『贋の侍女』『愛の勝利』における異性装の表象とその機能 |
垣沼絢子 | 戦時下宝塚の帰朝公演に見られる表象の変遷 −1939年『ブルウ・トランク』『我等の旅行記』を対象に− | |
卒業論文 | 岡田尚子 | 藤原歌劇団と浅草オペラ的精神の流れ |
柳川朔 | Rioのスタンダップコメディ集とアジア人の表象 | |
由谷晋一 | 狂言における家芸継承と個性 −四世茂山千作のエ段長音をめぐって− |
修士論文 | 山本知伽 | ミュージカル『フィオレロ!』研究 |
卒業論文 | 石橋啓太郎 | 学校教育の中の演劇 −福島県立いわき総合高等学校の事例から− |
橘若菜 | コメディ・フランセーズとモリエール− −その歴史的観点から− | |
曽場彩香 | 三谷幸喜作品における「その場しのぎ」の喜劇性 | |
星野亜門 | ジャン・ピエール・ジュネ作品におけるモンタージュ −その喜劇的効果− | |
武宮由佳 | 本谷有希子の人物造形分析 | |
加田祐衣 | 謡曲における鬼女変貌と能面との関係 −「葵上」と「鉄輪」における”うはなり打ち”を中心に− | |
谷川春奈 | 木下順二の民話劇について | |
河野優子 | 映画「予告編」の分析 −近年の日本における公開作品を中心に− |
修士論文 | 加古雅樹 | 現代演劇における観客論の展開 −その「参加」と「分離」− |
金裕彬 | 三谷幸喜『笑の大学』研究 | |
卒業論文 | 立道悠理 | 『Endless SHOCK』にみるオリジナル・ミュージカルの可能性 |
田中友貴 | 日本における両大戦間期新興人形劇の展開 | |
馬場絢子 | 初期日劇ミュージックホールをめぐる言説史研究 | |
橋場あゆみ | 現代における伝統芸能の稽古方法 −能楽師養成事業を中心に− | |
三木香澄 | バレエ『くるみ割り人形』上演比較研究 | |
緑川岳良 | 維新派「ヂャンヂャン☆オペラ」におけるリズムの効果 |
修士論文 | 中川登美子 | イヨネスコ『授業』論 −20世紀前半フランスにおける言語・教育政策に関して− |
中川菜月 | 幸若舞曲と女性 −主体的な女性像の形成考− | |
卒業論文 | 内田朱音 | バロック劇における劇中劇 |
小倉有希 | 柿喰う客『悩殺ハムレット』における若者言葉 | |
清廣早希 | 桂枝雀の語りと演技 | |
櫻井祐貴子 | モーリス・ベジャール振付『ザ・カブキ』論 | |
島内悠理菜 | 三谷幸喜作品における劇構成と人物造形の諸問題 | |
菅千遥 | 『A−"R"ex−如何にして大王アレクサンドロスは世界の 覇者たる道を邁進するに至ったか』における一考察 | |
新倉奈々子 | 日本におけるシェイクスピアの初期翻案作品と演劇改良 −『何桜彼桜銭世中』と『葉武列土倭錦絵』の考察− | |
福本伊歩 | 「ゲキ×シネ」について −舞台演劇の映像化の現状と未来− | |
與田菜摘 | 井上ひさし『ムサシ』における主題提示の手法 |
修士論文 | 西恵野 | 能の太鼓伝書にみる思想 −鴻山文庫蔵『実鏡書』を例として− |
卒業論文 | 嶋谷望 | ミヒャエル・クンツェ作『モーツァルト!』について |
小笠原真実 | ブロードウェイにおけるゲイ・ミュージカル −その歴史と作品− | |
加古雅樹 | 柴幸男論 −ソーントン・ワイルダー作品との比較分析を中心に− | |
三島あい | モーリス・ベジャール論 | |
渡邊陽菜 | 演劇人の直面する課題の克服に向けて −法制度上の問題を中心に− |
修士論文 | テイ・バイテイ | 日本におけるオリジナル・ミュージカルの展開 −『SHOCK』シリーズを手がかりに− |
山口浩章 | A.C.O.A(Acting Company Of A)の理念と実践 −「共生の彼方へ」シリーズをめぐって− | |
大藪真之祐 | 書のパフォーマンス性 | |
尾西教彰 | 公立劇団の活動における<地域>意識の変容 −兵庫県立ピッコロ劇団の活動を通じて− | |
卒業論文 | 坂口歩唯 | ソフォクレス『オイディプス王』と民話 |
塚田智美 | 小池修一郎論 −『華麗なるギャッツビー』を中心に− | |
後藤美希 | ジャッキー・チェン監督作品における演出技法 | |
太田彩香 | 道具と空間 −別役実「アリス」シリーズを中心に− | |
原裕美子 | 『ライオンキング』論 −興行と演出− | |
宮地伸哉 | 富野悠由季論 −「映画的なるもの」をめぐって− |
修士論文 | 戸田健太郎 | 狂言における能の「引用」についての研究 |
ファビオ・ゲッリ | 能を古代ギリシア劇を通して見る −能と古代ギリシア劇の比較研究− | |
卒業論文 | 織屋雄紀 | 溝口健二のロングテイク論 |
加藤玲士 | 鶴屋南北『桜姫東文章』における生と退廃 | |
角倉加奈子 | 『SHIROH』論 〜劇団☆新感線が描く二人の「しろう」・女性・音楽〜 | |
初田直樹 | 原田眞人監督社会派三部作について | |
原めぐみ | 金森馨と舞台装置 −劇団四季での活動を中心に− | |
望月美穂 | 公立劇場の現在 | |
山岡愛 | 宮崎駿論 | |
山脇清香 | 別役実の主題と技法 | |
横山由梨 | 井上ひさし『頭痛肩こり樋口一葉』論 | |
渡部明子 | 和田精の音響史 |
修士論文 | 池田拓郎 | テレビゲームのパフォーマンス性 |
甘為治 | 観世元雅の生涯と作品 | |
卒業論文 | 大薮真之祐 | アクション・ペインティングの演劇性について —ジャクソン・ポロックを中心にして— |
川口高志 | 演劇における事物の機能 | |
管家愛 | 劇団四季の成立と初期作品 | |
濵口敬一 | レーニ・リーフェンシュタール論 | |
八ケ代健 | 上方落語の笑いについて |
修士論文 | 須川渡 | 劇団ぶどう座にみる地域演劇 —川村光夫作品の形成と展開— |
美堂梓 | ジョージ・バランシンの作風とその変遷 —オルフェウス作品を巡って— | |
卒業論文 | 青木淳高 | 松尾スズキの劇作法 |
上野大輔 | 《田村》が金春禅竹の作である可能性について | |
金豊礼奈 | 初代中村仲蔵の歌舞伎史的意義 —色悪・実悪・舞踊の場合— | |
木津毅 | アキ・カウリスマキと二つの敗者三部作 | |
多谷昭典 | オーソン・ウェルズ演出『マクベス』(1936)について | |
水谷真理 | チャップリン初期作品におけるミュージックホールの影響 |
修士論文 | 松本好弘 | 世阿弥能楽論における禅思想についての諸問題 —仏性をめぐる世阿弥の世界観を中心に— |
卒業論文 | 荒岡寛 | サミュエル・ベケット論 |
池田拓郎 | 映画における俳優の演技と芸術的価値 | |
鮑曉萱 | 台湾ゲイ映画における「媚外心態」と「同性愛」 —『僕の恋、彼の秘密/十七歳的天空』をめぐって— |
修士論文 | 絹巻陽子 | 武智鉄二の歌舞伎演出 —その理論と実践— |
卒業論文 | 大塚幸 | ミュージカル『レ・ミゼラブル』にみられる救済 |
大西敦子 | フランソワ・トリュフォー論 | |
小田研史 | 戦後日本における映画産業の諸問題 | |
黒田洋一郎 | 野田秀樹「現在」考 —2001年以後の作品を通じて— | |
佐々木彩子 | ヤン・シュワンクマイエル論
—1980年代以降の作品における人と事物の関係— | |
長浦真美 | 映画の音 —市川崑監督作品をとおして— | |
中野優子 | ダンスセラピーと香瑠鼓 | |
奈須春香 | 元雅作『吉野琴』の諸問題 | |
美堂梓 | ジョージ・バランシンのプロットレスバレエについて | |
元重慶子 | エイゼンシュテイン論
—サイレント映画期におけるモンタージュ論の展開— |
修士論文 | 上野曉子 | 八橋検校組歌「八橋十三組」の研究—その形成と展開— |
横田洋 | 井上正夫研究—大正15年〜昭和2年の演劇活動について— | |
卒業論文 | 白石智子 | ブラック・ムービーの現在 |
修士論文 | Nadia Fala | 近松門左衛門の世話物におけるテーマとしての死 ─『心中天網島』を例に挙げて─ |
藤元陽 | フランス印象主義映画の検討 ─アベル・ガンズを中心に─ | |
卒業論文 | 出原真菜美 | 『踊る大捜査線 THE MOVIE』にみる日本社会 |
市川陽子 | バズ・ラーマン監督『ムーラン・ルージュ』論 | |
小野晃寛 | 今はいない彼らについて 〜瀬々敬久作品論〜 | |
絹巻陽子 | 武智鉄二の歌舞伎演出 ─昭和二十年代を中心に─ | |
大道順子 | 黒川能の研究 〜詞章の考察から〜 | |
寺田祥子 | 野田秀樹論 ─劇団解散後の活動を中心に─ | |
平井光子 | 岸田理生論 ─『身毒丸』を中心に─ | |
松尾菜美 | 黒澤明と能 ─『虎の尾を踏む男達』を中心に─ | |
村山翔大 | 宮崎駿作品における人物造形について ─『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』を中心に─ | |
木村由佳 | 公共劇団と地域社会 | |
正木遊 | Baz Luhrmann監督映画研究 ─レッド・カーテン三部作における映画演出の方法─ | |
江上昇 | 関西お笑い界の動向 —その成功する方法について— |
修士論文 | 稲葉伸之介 | カルロ・ゴッツィのフィアーベ |
川上孝也 | 茂山久藏英政伝書の研究 ─近世の狂言・その展開─ | |
金正男 | 韓国新派と趙一斎 | |
茂山恭仁子 | 江戸時代後期から昭和初期にかけての京阪神能楽界 ─忠三郎家文書を中心に─ | |
田中みどり | 一九三〇〜一九四〇年代におけるレヴューの展開 ─進駐軍慰安公演の意義─ | |
中尾薫 | 『明和改正謡本』の研究 ─脇能をめぐって─ | |
卒業論文 | 荒武宏明 | ネオ・リアリズムとルキノ・ヴィスコンティ |
大田黒陽 | トム・ストッパードの劇構造 | |
岡本佳子 | 舞台化という創造 ─萩尾望都作品の上演を中心に─ | |
粟田麻利子 | ミュージカル『エリザべート』の劇構造 | |
筒井千帆 | 『イングリッシュ・ペイシェント』の映画と原作 | |
浜口望海 | 俳優・松田優作 |
修士論文 | 正木喜勝 | 東京左翼劇場研究 |
卒業論文 | 川田恭生 | デイヴィッド・リンチ論 |
長尾沙織 | スタニスラフスキーの演技思想 | |
林田浩一 | ルイス・ブニュエル論 | |
山口絋治 | アーサー・ミラー戯曲研究 | |
横田洋 | 原將人論 |
卒業論文 | 池田優子 | ミュージカル『エリザべート』考 |
金正男 | つかこうへい論 ─戯曲分析を中心に─ | |
佐藤貴幸 | 書替女狂言考 | |
藤元陽 | スタンリー・キューブリック論 | |
建名真人 | ミケランジェロ・アントニオー二論 ─『欲望』の分析を中心に─ | |
佐藤周子 | ポランスキー論 ─モノクロ長編三作品における主題と様式─ | |
西内久美子 | ティム・バートン論 ─作品とその背景─ | |
南正博 | ガルシア・ロルカ研究 ─戯曲における抽象性とアンダルシア性─ | |
吉村孝文 | バスター・キートン作品におけるスラップスティック的手法について |