研究室だより(2004.4〜)

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■大坪(D2)、台湾へ留学


 本研究室の大坪慶之(D2:清末政治外交史)が台湾へ留学した。留学先は中国近現代史研究に力を入れている台湾師範大学の歴史系で、期間は本年の九月から一年間の予定である。彼は七月末に開かれた壮行会で、語学はもちろん台湾の研究者・学生との交流や史料の収集に力を注ぎたいと参加者の前で熱く抱負を語ってくれた。一年後、研究者として大きく成長した姿を我々の前に見せてくれることを期待しつつ彼の帰国を待つこととしたい。
 なお、当研究室での「ソフトボール衙門大臣」兼「主将」兼「ジェネラルマネージャー」の職務は、台湾から指示を出しながら引き続き遂行するとのことである。

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■荒川・森安両教授、和田(コータン)地区にて海外調査(2004.8.22-9.6)


 8月22日から9月6日にかけて、本研究室の荒川正晴教授ならびに森安孝夫教授が新疆ウイグル自治区のコータン地区を中心に海外調査を行なった。これは「東トルキスタン出土「胡漢文書」の総合調査」という平成15年度〜17年度に渡る科学研究費補助金(基盤研究B)の一環であり、人民共和国成立以降に新疆でどのような文書(紙・木簡)が新たに出土しているのか、その現状を知り情報を得ることを目的とした調査であった。昨年度は「中国肺炎」問題により中国での調査が行なわれなかったため、本年度が本科研による初の現地調査となった。
 調査地は庫爾拉(クルラ)、庫車(クチャ)、コータンである。調査参加者は、日本からは荒川正晴(隊長、大阪大学教授)、森安孝夫(大阪大学教授)、白須浄真(比治山大学非常勤講師)、松井太(弘前大学助教授)、服部等作(広島市立大学教授)の5名、中国からは張銘心(民族大学)、アニワル(新疆博物館研究員)の2名である。
 コータン地区の文物保管所での文書調査のみならず、クチャでは蘇巴什(スバシ)寺院址や夏克土尓・玉其土尓(ドゥルドゥルアクル)、コータンでは麻扎塔格(マザルターク)や布扎克(ブザック)といった遺蹟も参観し、現地に行ってこそ分かる地勢や遺蹟のプランを確認した。また今回の調査により、コータン地区で少なからず新文書が出土していることが判明し、今後それらの文書をもとに胡語と漢語の両方を使用しての研究が行われることが期待される。その意味で、今回の調査は今後の研究への第一歩となった。なお、詳しい調査の成果は平成18年3月出版予定の報告書を待たれたい。


マザルターク山頂の砦からコータン河を臨む

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■第2回全国高等学校歴史教員研修会(2004.8.9-11)


 8月9日、10日、11日の3日間、本年度も昨年に引き続いて全国高等学校歴史教員研修会が開催された【第1回の模様は
こちら】。大阪大学21世紀COEプログラム「インターフェイスの人文学」の「世界システムと海域アジア交通」班によって主催されたもので、我が東洋史学研究室の桃木至朗教授が代表者となっている。本年度は「アジア史と日本史の対話」というテーマが設定されており、本学の平雅行教授(日本史)・秋田茂教授(西洋史)らが新たに講師陣に加わっている。とりあげられたテーマは、日本中世の仏教、琉球王国史から東アジアの国際関係、中央ユーラシア史、世界システム論など多岐に渡っており、全国的に見てもユニークな試みが継続して行われたのであった【本会のお知らせはこちら】。
 本年度は北は北海道、南は鹿児島から総勢で70名を越える高等学校の教諭、数名の予備校・出版関係者が阪大附属図書館ホールに集結した。参加者は連日の猛暑にもかかわらず、最新の研究・研究動向に基づく講師陣の講義を熱心に聴講した。過密スケジュールで休憩時間も満足にとられなかったが、その時間すら利用して各講師陣と情報交換する受講者も多く、また、毎日回収される質問カードには、びっしりと質問事項や要望が書き込まれ、講師陣は嬉しい悲鳴をあげていた。
 盛況のうちに終了した本会であるが、会期の3日間に止まらず、これがきっかけとなり大学と高等学校の連携が少しでも深まることをスタッフ一同が切望している。なお、本会の報告は別に用意される予定である【現在作成中】。

各講師に多くの質問がよせられた

白熱する全体討論会

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■前期集中講義(2004.8.3-6)


 8月3日から6日にかけて、集中講義が行われた。今回お招きしたのは、中央大学教授の妹尾達彦先生である。妹尾先生が大阪大学で集中講義を行うのは1994年度に次いで二度目である。
 妹尾先生は斯波義信先生のもと、修士課程・博士課程を大阪大学で修了された。専門は唐代長安の都市史であり、代表的著作として『長安の都市計画』(講談社選書メチエ223、2001)が挙げられる。
 「中国都市史の新しい見方」と題された今回の講義は、広くはユーラシア大陸全体の歴史の流れを把握しながら、特に先生のご専門である唐の王都長安といった中国の事例を見ていく形式であった。農業−遊牧境域線における古典文明の誕生から始まり、古典文化の分裂、遊牧文化と農耕文化の融合した文化(融合文化)の発生と否定、主に中国における9世紀の転換(普遍指向から固有指向へ)、ヨーロッパによる征服、近代国家形成までを、4日という短期間で駆け抜けた。レジュメは、本文73ページに加え、図版資料80ページと膨大な量に上ったが、一枚一枚の図版に至るまで丁寧に解説された。空間的にも時間的にも多岐に渡る内容であり、進度も速かったが、毎時間最後には質疑応答の時間が設けられ、学生からも疑問点・意見などを述べることができ、理解を深めることができた。
 穏やかな語り口から紡ぎ出された熱い講義に、多くの学生が歴史学へのパッションをかきたてられたに違いない。



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■2004年明清史夏合宿で大坪慶之(D2)が報告(2004.8.1-3)


 今年で18回目を数える明清史夏合宿が山形県の蔵王で開催され、その二日目の午後、阪大博士後期課程の大坪慶之が「清末、清朝中央の外交政策決定過程」と題した報告を行った。
 報告者は清末の政治史研究として、光緒年間の重要政策の一つとして外交政策決定過程を詳細に考察し、その中で親王(をはじめとする宗室)が重要な位置を占めることを指摘した。そしてこれは王公が政権の中枢を担うという清朝の特色の一環とし、清初の体制が清末まで継承されていた可能性を強調した。
 報告後、コメンテーターの吉澤誠一郎氏(東京大学)をはじめ、諸氏より問題点の指摘や懇切なアドバイスを受け、彼にとって大変意義のある報告となったであろう。
 なお来年の明清史夏合宿は大阪大学が主催するはこびとなっている。

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■非公式卒論相談会(2004.7.28)


 卒論相談会が春と秋の二回の開催となり数年が経つ。今年もまた、卒論を執筆する学生の希望と、それを受けての有志の院生により、夏休み前の“非公式”相談会が開催された。今年は三人が報告を行った。各報告者は進行状況の報告を行い、それに対して院生からは、夏期休業中の作業に関するアドバイスがあった。
 例年のごとく就職活動との両立、また今年から院入試日程などが変更されたこともあり、各々が具体的な作業を明確に認識し、無駄なく夏期休業を過ごすことが望まれる。今回受けたアドバイスを生かし、各自の作業に打ち込んでもらいたい。

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■山本(D1)野尻湖クリルタイで研究発表(2003.7.17-20)


  7月17日から20日まで第41回野尻湖クリルタイ(日本アルタイ学会)が開催され、日本全国から、そして海外からも参加者が集まった。参加者は総勢48名であったが、本研究室からは杉山助手と佐藤以下、鈴木、山本、白、石附の4名の院生が参加した。
 D1の山本明志が「モンゴル時代の蔵漢交通」と題して研究発表を行ない、本研究室からは一昨年度から三回連続での発表者となった。山本は、漢文史料をもとに、チベット仏教僧がモンゴル王侯から布施として大量の富を得、それが站赤を通してチベットへ運びだされ消費されるという一連の流れを明らかにした。
 歴史学のみならず人類学の分野からの発表もあり、また毎夜発表の後には終わりのない宴会が続いて参加者は情報交換をし交流を深めるという、非常に刺激的な4日間であった。クリルタイ全参加者並びにその他の発表についての概要は『東洋学報』の彙報に掲載が予定されている(澁谷浩一氏(茨城大学)執筆予定)。


野尻湖 朝日を浴びて

 本年度も、恒例であった遊覧船「白鳥丸」での野尻湖周遊が行われなかった。昨年度は天候不順による運休によるものであったが、本年は、なんと白鳥丸による周遊自体が休止されていたのだ。当研究室の気象庁長官S藤氏の「(運行)今日は大丈夫です」という天候面でのお墨付きはあったのだが、白鳥丸が稼働していないのであればやむを得ない。写真に見える野尻湖中心にある小島への巡礼はクリルタイ名物であっただけに、クリルタイの古参、そして首脳陣はショックを隠しきれなかった。私は幸運にも3年前に乗船することができ、クリルタイの旧会場であった「野尻湖ホテル」の廃墟をまぶたに焼き付けていた(現在は完全に解体され、片づけられてしまったということです)。湖畔の午後にひとときの安らぎを与え続けていた白鳥丸が運行復活してくれることを願ってやまない。【写真とコラム:酒税達干】

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■片山教授、中国・広州《近代中国郷村社会権勢》国際シンポジウムで研究発表


 片山剛教授は広州の中山大学で開催された《近代中国郷村社会権勢》国際シンポジウム(7月12日〜15日)に招待され、「広府人誕生之謎及其社会烙印−里甲制的長存和宗譜的改変−」という題目の発表を行なった。

 本発表の第一部は、従来ほとんど着目されることのなかった「土人」(あるいは「土民」。非漢族と漢族の中間に位置するエスニック・グループ)に着目して、明代珠江デルタ社会の大転換を解明したものであり、「"広東人"誕生・成立史の謎をめぐって−言説と史実のはざまから−」(『大阪大学大学院文学研究科紀要』44巻、2004年)を基礎にした発表である。第二部は、大転換の社会的刻印が、当該地域の明清時代の族譜に反映されていることを論じ、「明代珠江デルタの宗族・族譜・戸籍−一宗族の言説と史実をめぐって−」(近刊)を基礎に発表した。
 本発表は、同じテーマで研究を行なっている研究者だけではなく、シンポジウムに参加していた中国の若い大学院生からも、視点の斬新さや実証性について大きな反響があった。

 シンポジウム終了後は、珠江デルタ農村(仏山市順徳区など)に赴き、「死と生の習俗」に重点をおいた短期間の実地調査を行なった。順徳区(以前の順徳県)では、今年から土葬が全面的に禁止となったため、当県の龍江鎮では、火葬を経た骨壷の納骨堂が2つも誕生していたことが特に目を引いた、とのことであった。

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■第2回ベトナム学国際会議(2004.7.14-7.16)


 7月14日から16日にかけて、ホーチミン市の統一会堂(旧南ベトナム大統領官邸)にて第2回ベトナム学国際会議“Viet Nam tren duong phat trien va hoi nhap(ベトナム:発展・開発と統合への道のり)”が開催された。1998年の第1回より若干小規模となったが、20を超える国と地域から400人を超える参加者を得て大々的に挙行された。本研究室からは桃木教授と蓮田(D3・学振研究員)とが参加した。


 桃木教授は初日の全体セッションにて日本代表として“Su bien doi xa hoi Dai Viet the ky XIV qua van khac -- khao sat truong hop vung Ha Tay(刻文から見た14世紀大越の社会変化ーハタイ地方の考察)”と題する報告を行なった。前近代史部会での報告予定が急遽指名を受けての登壇だったが、日本ベトナム学の水準の高さを十二分に印象づけた。さらに前近代史部会ではChair personのひとりとして司会進行役を務める一方、3日目の部会総括討論では史料論を巡ってベトナム人研究者と激論を戦わせた。

 かたや蓮田は2日目の前近代史部会にて、“Khao cuu lai su thanh lap nha Le Trung Hung(後期黎朝成立史の再検討)”と題する報告を行なう予定が、2度にわたって組織委員会によってペーパーを紛失されるというアクシデントに見舞われた。おかげで10分前に記憶だけを頼りに作ったメモ書き一枚を片手に徒手空拳での発表となったが、それでも、質疑応答の中で補足を加えるなどして概要を伝え、何とか責を塞いだ。降りかかる試練が彼をさらに大物に近づけたであろうか(?)。

 第3回は2009年にダナン(中部ベトナム)にて開催予定とのこと。


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■第一回修士論文構想発表(4.30・6.17・7.1)


 4月30日から7月1日にかけて、合同演習において本年度第一回目の修士論文構想発表が行なわれた。持ち時間は一人1時間、そのうち40分が発表、残り20分が質疑応答とされ、そのため発表者には、高度な内容はもちろんのこと、それを短時間でまとめる能力も要求されるのである。
 阪大東洋史研究室では、将来研究者になることを志す者には、特に3年かけて修士論文を執筆する事が推奨されているが、近年、専門能力を持って社会で活躍する人材の育成にも目が向けられており、2年間での修士論文執筆も認められるようになってきている。その影響もあってか、本年度の修論執筆予定者4名のうち2名が修士2回生である。今年一年は相当ハードな道のりになるであろうが、修論提出に向けて全力で進まれたい。

 現時点での各テーマは以下の通りである。

福島阿子 「義和団事変時の international law」
岡田雅志 「近世ベトナムと山地民社会−18c〜19c半ばの西北地方ターイ族社会を中心に」
川村力応 「地図に見る地球球体説の受容−『広東通志』の地図を中心に−」
山尾拓也 「大元ウルスにおける燕王チンキムの分封−そのウルスの実態について−」

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■杉山助手 西舞鶴高(京都)で講演(2004.6.24)


 6月24日、京都府立西舞鶴高等学校において、杉山清彦助手が高校生向けの講演を行なった。
 西舞鶴高校では進路指導の一環として、学問への興味・関心を高め、世界の歴史・文化などを学ぶ目的で、「西高進路セミナー」と題した、大学教員による講演が行なわれている。
 杉山助手は、そのうちの「世界を知る」と銘打たれた世界史・国際情勢に関する連続講演(年6回)の講師の一人として招かれ、「大清帝国の興亡―ユーラシア帝国から東アジアの「中国」へ―」という題目で、約80分の講演を行なった。高校生にとって、第一線の研究成果を聞くことで、教科としての世界史と学問としての歴史学との違いに触れることは、非常に有意義であっただろう。

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■3回生論文紹介(6.3・10・17)

 3回生による論文紹介が6/3・10・17の3回の合同演習で行なわれた。論文紹介とは、学部3回生がそれぞれの興味・関心に従って学術論文(特に実証論文)を選定し、その内容や研究史上における位置づけなどを報告するものである。そして、本発表を聴講するに当たっては、学部生から教員まで全員が選定論文を読んでくることが前提となっている。
 本年度は7名が発表したが、合同演習での発表が初めてということもあり、緊張から上手く発表できない場面も見られた。そのため彼らは合同演習の洗礼を浴びることになったが、一方で諸先輩からの愛に満ちた指導も行なわれたので、この発表から学んだことは多かったであろう。3回生には今回学んだことを12月の第一回卒論相談会での発表に生かしていってほしい。

選定論文は以下の通り(発表順)

三崎良章「異民族統御官にあらわれた五胡諸国の民族観」『東洋史研究』54-1,1995年,pp.32-56.
内藤みどり「突厥による北庭のバスミル攻撃事件」『東洋学報』81-4,2000年,pp.1-31.
李成市「渤海の対日外交への理路」古厩忠夫編『東北アジア史の再発見−歴史像の共有を求めて−』有信堂高文社,1994年,pp.28-52.
岡元司「南宋期浙東海港都市の停滞と森林環境」『史学研究』220,1998年,pp.40-60.
柴田昇「『荀子』と兵学−戦国〜漢初期における軍事的教養の一側面−」『名古屋大学東洋史研究報告』22,1998年,pp.1-26.
鈴木信昭「朝鮮後期天主教思想と『鄭鑑録』」『朝鮮史研究会論文集』40,2002年,pp.67-95.
田村慶子「ASEAN協力におけるシンガポールの利益と課題」日本国際政治学会編『国際政治』111,1996年,pp.66-83.

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■合同演習 入門講座

 4月15日、22日、5月13日、27日の計四回にわたり、合同演習において毎年恒例の入門講座が行われた。毎年合同演習の初めの数回は、「入門講座」と銘うって博士課程の院生が東洋史学を学ぶにあたっての基礎事項を解説するのが我が研究室の特色となっている。その内容は、東洋史研究室新人である学部2年生のみならず、マスターやドクターにとっても学ぶべきところが多いものである。本年度の題目は以下のとおりであった。

 第一回:日本東洋史学の成立と歩み(D3 赤木崇敏)
 第二回:工具書紹介≪東洋史全般・中国史≫(D2 梶原真)
 第三回:工具書紹介≪東南アジア・アジア海域史≫(D3・学振研究員 蓮田隆志)
      工具書紹介≪中央ユーラシア史≫(D2 鈴木宏節)
 第四回:漢籍解題(D2 大坪慶之)

 第一回目は、今後の研究姿勢を確立するに欠かせないという視点から、日本東洋史学が如何に成立したのか、前史から現代までの流れが丁寧に解説された。第二回目・三回目の工具書紹介(工具書とは、漢文をはじめとする一次資料を読むため、或いは先行研究を探すための辞書・辞典・目録類である)は、例年時間的制約から全分野の工具書紹介を合同演習一回分で終わらせていたのだが、本年度は全二回三分野に分けて行うことが出来たため、例年になく内容の濃密な有益なものとなった。第四回目は、漢籍すなわち古典漢語史料の分類、そして漢籍を読む際に注意すべき点が詳しく解説された。漢籍は東洋史学における根幹的な史料である。ゼミや卒論執筆の際の史料検索には欠かせない知識であり、特に学部生は真剣なまなざしで発表を聞いていた。
 どの発表も、研究活動には欠かせない基礎を築くための必須の内容を含むものであった。この入門講座で得た知識を各自骨肉として、先ずは一冊一冊を手に取ることから始め、今後の研究活動に邁進されたい。

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■荒川教授 国際ソグド学会で発表

 さる4月22日から4月24日までの三日間、中国北京の国家図書館で国際ソグド学会が開かれ、本研究室の荒川正晴教授が参加した。
 この学会は近年の中国における活発な考古学発掘によってソグド人関係の遺物が多く出土していることを受け、その総括を行うという主旨のもと開催されたものであった。Nicholas Sims-William博士(イギリス)、Frantz Grenet博士(フランス)、吉田豊教授(神戸市外国語大学)など、世界中から第一線の研究者が集まる盛大な学会となった。
 荒川教授は23日に「唐代粟特商人与漢族商人」という題目の研究発表を行っている。



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■十年ぶり復活!新歓遠足&新歓コンパ(2004.5.20)



 五月二十日(木)、十年ぶりに東洋史研究室新歓遠足が催された。 目的地は国宝播州姫路城と書写山円教寺(姫路市)である。
 午前九時、阪大に集合した参加者達は、観光バスに乗り込み、まずは姫路城へ。曇天の中、世界文化遺産の指定も受けたこの古城を見学。本研究室には、留学生や近畿圏外の出身者も多く、初めて見る雄大な城郭に感心しきりであった。
 昼食を挟み、午後からは書写山円教寺へ向った。西国第二十七番札所であり、西の比叡山とも呼ばれる古刹である。一行は、山道を登り、壮麗な舞台を備えた摩尼殿や寺院建築としては珍しい二階建ての食堂(じきどう)などを拝観。また、この食堂は映画「ラスト・サムライ」の名シーンの撮影現場ともなっており、管理者が嬉しそうに出してくれたアルバムを見ると、トム・クルーズや家庭のゴタゴタを微塵も感じさせない凛々しい姿の渡辺謙がそこにはいた。
 日も暮れ始める中、牧落の小洒落たイタリアンレストランに場所を移し、新歓コンパが開かれた。これまでの研究室コンパではなかった本格的なイタリア料理に舌鼓を打つ面々。この日は、幹事を務めたM1諸氏の周到な準備の甲斐もあり、研究室のメンバーで楽しい時間を共有することができた。しかし、教員の挨拶にもあったように、明日からは皆で演習という名の戦場に赴くことになるのである。予定時間をオーバーする盛り上がりを見せ、本日の新たな戦友を迎える儀式は幕を閉じたのであった。


円教寺大講堂



姫路城を背景に記念撮影


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■祝ソフトボール優勝 王座奪還!(2004.5.5)

 連休の最終日である五月五日、猪名川グランドにおいて、前日までの雨でぬかるむ足元をものともせず、水しぶきをあげながらボールを追いかける阪大生の姿が見られた。恒例のソフトボール大会である。しかし!今年の東洋史研究室チームの意気込みは例年とは一味違った。今回は昨年秋季大会で失った優勝トロフィーを奪還する、という使命感に燃えていたのである。その結果、メンバー全員の集中力あるプレーで勝利を重ね、ついには優勝をおさめた!しかし、ここで満足することなく、更なる飛躍を目指し精進されたい。詳しくは『續ソフトボール實録長編』平成十六年五月五日之條 を参照のこと。



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■第一回卒業論文相談会&修士論文構想発表(2004.4.30)

 去る4月30日(金)、本年度第一回目の卒業論文相談会が中庭会議室で行われた。
 東洋史研究室では、卒業論文を執筆する学生は、春と秋の二回の相談会で発表の機会を与えられる。発表内容は、一回目は関心・テーマ、先行研究の整理、そこから見出された問題点、それに対するアプローチなどである。相談会は合同演習の一環であり、2回生から教員までが出席し、発表者は基本的な語句質問から専門的な突っ込みまでを浴びせられ、多岐にわたった理解を試される。そして指摘された問題点や授けられたアドバイスを今後の作業に生かしていくことになるのである。一人あたり発表二十分・質疑応答二十分と時間は限られているが、初めて論文というものを執筆する学生にとって、自分の進むべき方向を確認できる非常に貴重な発表の場となるのである。
 今回発表者のテーマは以下の通りである。

 ・「沙陀集団の内部構成の変遷について」
 ・「『後漢書』における胡牀の再考」
 ・「満洲事変期国民政府の対日政策−日中直接交渉問題を中心に−」
 ・「則天武后期における「関隴集団」支配の変化について」

 本年度は発表者の人数が四人と例年に比べ少なく、相談会も1日で終える事が出来た。その分、院生・教員らの気力は充実しており、鋭い突っ込みに言葉をなくす者も少なくなかった。それぞれが具体的な作業に入って行くとともに、判明した問題点をきちんと一つ一つクリアしていくことが必須である。その上でそれぞれの興味・関心を大いに追求していってもらいたい。
 今回は同時に第一回の修士論文構想発表として院生1名の発表が行われた。こちらについてはまた後日報告を掲載する予定である。

 さて、相談会後には、東洋史名物ソフトボール演習が行われた。今回は全身ジャージで武装した森安教授の指導のもと、御前試合が練習メニューに組み込まれた。数日後に迫ったソフトボール大会においては必ずや勝利せよという命令が下された。
 これは遊びではない!

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■新学期ガイダンス(2004.4.1)

 本年度より文学部及び文学研究科の年間予定が大幅に変更されたため、本年度の東洋史研究室ガイダンスは4/1(木)という常軌を逸した時期に行なわれた。
 研究室の予定も変更され、5月には遠足が10年ぶりに復活し、博士前期課程の秋季(9月)入試の導入に対応して、例年4年生のみが行っていた卒論相談会が3年生の12月から行われる旨が発表された。3年生諸君は論文紹介が終わっても気を抜かず、第1回目の卒論相談会まで突き進んでいただきたい。
 年度が改まって人事異動が行なわれ、本年度より追手門学院大学へ移った田口宏二朗助手の後任として杉山清彦が着任した。また、2年生が3名、M1が2名、特任研究員1名が研究室の新たなメンバーに加わり、新体制での研究室が動き始めた。新入生には早く研究室に慣れて各自の研究に励んでいただきたい。そのほか、内部より修士課程(博士前期課程)には4名、博士課程(博士後期課程)にも1名が進学している。

 今年の東洋史研究室の構成は以下の通り。
  教員6名
  学振研究員     1名
  特任研究員     3名
  博士後期課程  10名(内1名 ドイツ留学中、2名 中国留学中)
  博士前期課程  15名(内1名 台湾留学中)
  4回生         8名
  3回生         8名
  2回生         3名
  研究生・聴講生   3名

 なお、本年度は学部・大学院非常勤講師として妹尾達彦先生(中央大学)と羽田正先生(東京大学)をお招きしている。

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大阪大学大学院・文学研究科・東洋史学研究室