研究室だより(2004.4〜)

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■研究室図書インスペクション(2005.3.8-10)


3月8日〜10日の三日間、毎年恒例のインスペクションが行なわれた。(というこの記事の始まりも毎年恒例である。過去の研究室だよりを参照されたい。)

インスペクションとは阪大東洋史研究室が独自に行なっている蔵書整理のことであり、研究室に配架されている図書現物と研究室備え付けの図書カードとを対照させ、登録された図書と対応するカードとが揃っていることを確認、欠損を調査するものである。

調査の具体的方法は以下のように行なわれる。和漢書・洋書を問わず、院生を中心とした読み上げ部隊数人が書名(年によっては著者名)を読み上げ、学部生を中心としたカード繰り部隊が、それに対応するカードをカードボックスの中から探し出し、双方の対照が確認された図書は横向きに寝かせ、対応カードは立てていく。インスペクションの目的は、研究室の資産管理・環境整備はもちろんであるが、同時に、学生にカードの検索方法、図書の正確な配置等に習熟させ、日々の演習、研究等で活用させることにある。

今年度のインスペクションで特記すべきこととして、まずは、書庫の誤配架修正が省略されことがあげられる。例年はインスペクション初日には多数の学部生が凍てつく寒さの書庫に送られ(ために「シベリア送り」と通称される。)、この作業を行なっていたが、近年の蔵書量急増により、貴重な戦力をシベリアになど送ってはいられないとして、初日から全戦力が研究室のインスペクションへ投入された。次に、共通教育棟内部に分散していた図書が共通教育棟書庫へと移された。

インスペクションの様子を述べるならば、例年どおり、怒号・悲鳴・混乱・粉塵・罵声・苦笑・恐怖の競演であったと言えば良いだろうか。今年度はシベリア送りの廃止により多少作業スピードがアップし、各作業班ヘッドは一縷の希望を見出していたようであるが、やはりインスペクションには時間の余裕などという言葉は無縁であったらしい。最終日午後には、図書とカードが対応しない「不明本」が残ったが、それを捜索する時間的余裕は無かった。このようなものはメモと付箋により印をつけ、後日地道に捜索が行なわれる。

インスペクション終了後、恒例の追い出しコンパが構内の待兼山会館で行なわれた。今年度は卒業生・修了生とともに、来年度から駒澤大學へと異動する杉山清彦助手の挨拶も行なわれ、人々は胸を打たれた様子で聞き入っていた(上掲写真は読み上げを行う杉山助手の雄姿である)。それぞれに新しい進路へとはばたいていってもらいたい。と同時に残された我々もより一層の精進を志してゆこうではないか。


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■森安孝夫教授著『ウイグル=マニ教史の研究』のドイツ語版が出版


 森安孝夫教授の『ウイグル=マニ教史の研究』(大阪大学文学部紀要31/32、1991年)がドイツ語に全訳された。
 NHK新シルクロードの第2回トゥルファンではベゼクリクの仏教壁画が主要テーマとされており、その年代を11世紀と説明していたが、その年代決定は本書によってなされたのである。それまでは漠然と8〜10世紀とみなしていたのに対し、本書はベゼクリク石窟がマニ教・仏教二重窟であり、古い方のマニ教窟が10世紀であることを論証した上で、その後に描かれた仏教壁画は必然的にそれより後になることを明らかにし、今やそれが学界で広く受け入れられるようになった。
 ドイツ語版は、ドイツの学者が資金を得て日本仏教の専門家に翻訳させ、それを教授が2年がかりでドイツ語に誤りが無いかをチェックし、さらに日本語版とのページの対照を明示し、索引を充実させるなど、計6〜7年かけた成果である。残念ながら費用の関係でドイツ語版にはカラー図版もモノクロ図版も地図も入っていないが、ヨーロッパにおけるマニ教への関心は高く、このドイツ語訳は多くの学者の読むところとなろう。

 書誌は以下の通りである。
Die Geschichte des uigurischen Manichäsmus an der Seidenstraße ---Forschungen zu manichaischen Quellen und ihrem geschichtlichen Hintergrund--- Ubersetzt von Christian Steineck (Studies in Oriental Religions 50), Wiesbaden : Harrassowitz Verlag, 2004 December, xix + 292 p [ISBN3-447-05068-3]

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■訃報  沈中琦元助手 ご逝去(2005.1.12)


 1995年4月〜99年3月に、本研究室助手として在職された沈中琦博士は、2005年1月12日、中国・上海市内の病院でご逝去されました。享年 48歳(満46歳)でした。沈先生は、昨年5月から闘病生活を送られていましたが、薬石効なく道山に帰されました。まことに痛惜に耐えません。
 沈先生は、1958年上海に生まれ、上海外国語学院日本語系を卒業し、上海宝山製鉄所勤務を経て、復旦大学大学院歴史系を修了(歴史学博士)し、92 年に復旦大学歴史系専任講師に採用されました。その後、93〜95年早稲田大学訪問学者、本研究室助手を経て、99年に復旦大学歴史系に副教授としてお戻りになられました。この間、日本近代史および中国農村社会の研究に従事されました。
 本研究室在職時は、震災復旧・教養部廃止・大学院重点化という激変期でしたが、その溢れる才知と卓越した語学力で研究室をもり立てるとともに、抜群の事務処理能力で研究室を支えてくださいました。復旦大学にお戻りになられてからは、歴史系副主任としても活躍され、将来を嘱望されていました。研究者として壮途半ばでのご逝去、まことに無念というほかありません。
 ここに皆様に悲報をお知らせするとともに、沈先生のご冥福をお祈り申し上げる次第です。

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■ベトナム村落調査(2004.12.18-29)

10年来続いているベトナム村落調査が2004年も行われた。本年も松尾信之名古屋商科大学助教授を団長として総勢10名あまりが参加した。本研究室からは桃木教授、蓮田(D3)、牧野(M1)に加え、現在台湾で教鞭を執っておられる濱島敦俊本学名誉教授(現・東呉大学教授)が初参加された。

この3年間は本来の調査村であるナムディン省旧バッコック社の周辺地域をフィールドとしているが、本年の調査地はゴイ町とロクアン社であった。いずれも戦災の傷跡が深く、文字史料の残存状況は芳しくなかったが、気候には恵まれ、ディンの祭礼の状況、村落間の結合、都市化による変化などがインタビューを通して明らかとなった。このほか、折良く村祭りを見学でき、休日に足を伸ばした女神信仰の中心地フーザイでは地方からの参詣団の出資によるレンドン(神降ろしの儀式)まで実見できるなど、かつて禁圧されたはずの「異端迷信」に満ち溢れた調査となった。

また、初期には社会主義的「サービス」と幽霊ビルの如き外観・内装だったナムディン市の定宿もこの数年ですっかり様変わりした。改装・増築し宴会ホテルとして大繁盛(因みに、この時期のベトナムは結婚シーズン)をみせ、今年は遂に株式会社化していた。古参参加者はその変貌ぶりに驚きながらもお湯のシャワーがすぐに堪能できるこの快適な環境を初年度から享受する一部若者に対する嫉妬を禁じ得ず、翻って時の流れと自らの老いとを実感するのであった。

なお、蓮田はハノイ帰着後にフランス極東学院ハノイ支所を訪ね、当研究室宛で同所出版の書籍数冊の寄贈を受けた。後日研究室もしくは図書館に配架される予定である。


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■羽田正教授集中講義(2004.12.13-16)


 12月13日から16日までの4日間、羽田正先生(東京大学東洋文化研究所教授)をお招きして、集中講義が行なわれた。
 講義では、近頃テレビや新聞等のマスメディアでよく口にされる「イスラーム世界」という言葉がいったいどこを指すのか、また何を意味するのかということを核として、それが19世紀ヨーロッパで、ヨーロッパに相対する存在として作られた用語であること、世界史の中で「イスラーム世界」という場合には、今日いわれるイスラーム世界と同じものなのか、そしてそれは世界史を描く上でふさわしい表現なのかということを語られた。そして、今後世界史をどのように書いていくべきか、という歴史学を学ぶ学生にとって大きな問いを投げかけられた。
 不安定な世界情勢の中、「イスラーム世界」への関心が高まる昨今、非常に興味深くかつ内容の濃い講義であった。本学にはイスラームを専門に扱う教員がおらず、普段聞くことの出来ない講義の内容に、歴史学専攻以外にも様々な専攻の学生が聴講していたことが、その関心の高さをうかがわせた。



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■第18回国際アジア歴史学者会議(2004.12.6-10)


 12月6日〜10日、第18回 IAHA (The International Association of Historians of Asia)が立法委員選挙まっただ中の台北にて国立中央研究院を会場に開催された。当研究室からは4名が参加したが、青木助教授と藤田加代子(COE特任研究員)とはそれぞれ自らのパネル(“The Boundaries of the Chinese Empire: Bandits, Barbarians, and Enemies” “Critical Dialogues between Maritime Asian Studies and the World-System Theory: The Early Modern Empire Concept from the Viewpoint of Asian History”)のオーガナイザーも務めている。各人の報告タイトルは以下の通り。

青木敦助教授:Eminent Judges in Frontier: Kiangnan in the Thirteenth Century.

藤田加代子:The European Presence in Early Modern Asia: An Examination of the Concept of “Early Modern Empire”.

ピヤダー=ションラオーン(COE特任研究員):Ayutthaya's Relations with East Asian and the Role of the Overseas Chinese.

蓮田隆志(D3):Seeing Mainland Southeast Asian experiences from the Early Modern Empire perspective.

 次回は2006年にマニラで開催される。

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■三回生第一回卒論相談会(2004.12.2/12.9)


 12月2日と9日、合同演習の時間において、本研究室初の試みである三回生の卒論相談会が行なわれた。
 近年は四年次の4月と10月の2回のみ行なわれてきた卒論相談会であるが、卒論作成のモチベーションをより高めるべく、一挙に半年前倒しして、三年次の12月に第一回を行なうこととしたものである。
 持ち時間は一人あたり発表15分、質疑15分。各自の興味・関心に沿った現時点でのテーマ、先行研究の把握状況等をしっかりと説明することが要求された。
 前例のない相談会であったため、発表を行なった三回生8名にとっては、戸惑いも大きく、暗中模索の末の発表であっただろう。そのため、作業自体の進み具合やレジュメのまとめ方等、不十分な点も多々あり、居並ぶ院生、教員から厳しい言葉が発される局面も見受けられたが、総じて言えば"劇薬"はそれなりに効果があったようである。
 もちろん、発表後こそ気を抜かずに作業を進めなければならないが、時間はまだ十分にある。じっくりと自分のテーマを追求し、研究を深化させていってもらいたい。  

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■第二回修士論文構想発表(2004.11.10)


 10月7日から28日までの木曜日の合同演習4回をかけて、第2回修士論文構想発表が行なわれた。発表者は前回と同じ4人であるが、今回は発表時間が2時間と前回の倍となり、より詳しくかつ具体的な発表と活発な議論が行なわれた。時には発表者にとって手厳しい質問が投げかけられることもあり、修士論文に求められる質の高さがうかがわれた。
 修士論文執筆者には、今回の発表で得た手ごたえやアドバイスをもとに、論文提出までの残り2ヵ月間を有意義に過ごしていただきたい。
 なお本年度の修士論文の題目は以下の通りである。

川村力応 「地方志の地図中に見る中国の宇宙観・世界観―広東地方を中心に―」
岡田雅志 「近世ベトナムと山地民社会―18c〜19c半ばの西北地方ターイ族社会を中心に」
山尾拓也 「大元ウルスにおける燕王チンキムの分封―そのウルスの実態について―」
福島阿子 「清末外交におけるInternational law―義和団事変を中心として―」

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■秋期ソフトボール大会(2004.11.4)


 11月4日、秋期文学部研究室対抗ソフトボール大会が行われた。春季大会において奪取した優勝トロフィーを守るべく、士気高く淀川河川敷に集合した東洋史チームであったが、西洋史チームを相手に3対1で初戦敗退した。
 続く二回戦にのぞみをかけた。二回戦の相手は英文学チーム。東洋史はこれを5対4で破り、三位決定戦に進んだものの、日本史チームに惜敗し、涙をのむこととなった。
 終わってみれば昨年秋期大会同様の四位という結果。今秋より主将を務めることになったU川は、今後東洋史ソフトボール部(!)再建のため粉骨砕身するとのこと。来期を期待したい。
 なお、これまでチームの勝利に貢献してきた投手Y尾と四番打者M木は学位論文を提出、来春卒業、修了(予定)であるため、今回が最後の出場になる。最後の試合を勝利で飾ってやる事が出来なかったことが悔やまれる。チームとしてはこれまでの彼らの活躍に感謝したい。ありがとう!


東洋史ソフトボール部


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■佐藤(COE特任研究員)東洋史研究会大会にて講演(2004.11.3)


 11月3日行なわれた、2004年度の東洋史研究会大会(於京大会館)において、COE特任研究員の佐藤が「西夏皇帝の側近集団―西夏語・漢語文献からの復原」と題して講演を行った。
 本発表で、佐藤は、カラホト出土西夏語文献とともに、中国側の漢籍史料を使用し、西夏の側近集団の人的構成を明らかした。
 講演要旨は『東洋史研究』63-3に掲載予定である。
 

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■第二回卒業論文相談会(2004.10.16)


 10月16日(土)、本年度第二回目の卒業論文相談会が行なわれた。今回は第一回目の発表と同じ四回生四名が、卒論の構想に沿ってその具体的な内容を発表した。質疑応答では発表者が答えに窮する場面もまま見られた。今回指摘された問題点やアドバイスに注意しながら、卒論提出までの三ヶ月弱という限られた時間を有意義に使っていただきたい。
 今回の発表終了後も、恒例のソフトボール演習(単位の出ない必修のゼミ)が森安教授の指導の下に行なわれた。途中、悪送球がフェンスを越えて駐車場の車に当たるアクシデントもあったが、皆が(筋肉痛を覚悟しながら)日がとっぷり暮れるまで練習した。11月初めに行なわれるソフトボール大会では悲願の春秋連覇を目指せ!!

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■片山剛教授 中国江蘇省にて海外調査(2004.9.4-18)


  科研課題(代表:京都大学 森時彦教授)「中国県制の総合研究」の一環として実施された、江蘇省常州市武進区(旧武進県)を対象とする現地調査に、片山剛教授が参加した。現地調査の面白さは事前の文献調査では夢想だにしなかった事柄を見出したり、聞き出したりして、新たな研究課題が浮上してくることである。
 今回の調査で浮上した新たな研究課題は以下の三点である。(1)20世紀前半以降続く当県の紡績業における、近代的大工場と「問屋制前貸し家内工業」(ただし手工業ではない)の分業構造はどのようなものであるのか。(2)寺院の復活とその分布について。今回の調査で死者の位牌と共に安置される生者の長寿祈願のための位牌の存在が判明した。後者の位牌については片山教授も文献上でも見たことがなかったという。死者及び生者と寺院との具体的関係と歴史的変遷の解明、また他地域との比較が課題となろう。(3)死者祭祀の地域的構造について。今回の調査で特定の「図」(宋代以来の地理区画)に所属する家庭は特定の廟で死者祭祀を行うという、廟/図のつながりがうかがえた。<寺院(鎮レベル)―廟(図レベル)―家>という構造が推定できるか?
 今回の調査は予備調査であり、本調査は来年度に予定されている。以上の課題を含めさらなる成果を期待したい。
 なお、片山教授は17日に上海の復旦大学で「広府人誕生之謎及其社会烙印:里甲制的長存和宗譜的改変」と題する講演を行って帰国した。


長寿祈願のための位牌

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■松井太氏(本研究室OB)、東方学会賞受賞


 本研究室OBで弘前大学助教授の松井太氏(モンゴル時代史・中央アジア史専攻)が、このほど第23回平成16年度東方学会賞(財団法人東方学会)を受賞した。受賞の対象となったのは、『東方学』107号所載の論文「モンゴル時代の度量衡―東トルキスタン出土文献からの再検討―」およびこれに関連する研究活動である。
 松井氏は1993年に本学文学部を卒業し、1996年に本学大学院文学研究科博士前期課程を修了、同後期課程を経て、1999年に学位論文「モンゴル時代ウイグリスタンの税役制度と文書行政」で博士(文学)の学位を授与された。2001年より弘前大学人文学部講師、2004年より同助教授を務めている(詳しくは氏のホームページ「
まついのねぐら 」を参照されたい)。我々後輩も、氏の業績に続けるよう、日々学業に邁進していきたい。
 なお授与式は、2004年11月4日(木)に京都パークホテルにて、財団法人東方学会の第54回全国会員総会において行なわれる予定である。

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■佐藤(COE特任研究員)内蒙古自治区にて海外調査


 8月30日から9月6日にかけ、COE特任研究員の佐藤が、総合地球環境学研究所オアシスプロジェクトの文献調査班の一員として、中華人民共和国内蒙古自治区フフホト市にある、内蒙古文物考古研究所及び、内蒙古大学蒙古学系、同歴史学系を訪れた。
 また、元朝期の都市遺跡である集寧路遺跡の出土品の見分、内蒙古自治区ホリンゴル県にある漢代壁画墓の視察も同時に行った。

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大阪大学大学院・文学研究科・東洋史学研究室