古い研究室だより(〜1998.3.16) 

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■研究室インスペクション(98.3.10〜3.12)

 本研究室年度末の一大イベント,研究室インスペクション(蔵書点検)が今年も3日間にわたって行なわれた。

 OPACによるオンライン検索では研究室内での配架場所(研究室・第2研究室・各教官室)までは検索できないため,本研究室では未だにカード利用検索も併用している。
 そこで,まず図書館から送られてきた図書カードを,書名カードと著者名カードに分け,研究室のカードボックスに組み込む。ここで五十音順・ABC順の配列原則を間違えてボックスに入れると,図書の配架場所がわからなくなってしまうので,配列原則を何度も確認しながらの作業となる。

 ついで,大学院生が研究室内の図書の書名を1冊1冊読み上げ,学部生がカードボックス内の書名カードと照合して所在を確認し,確認済みの図書は背中を倒していく。書名カードによる点検が終了すると,次は図書を立てながら著者名カードによる点検を行ない,図書が元通りに全て立った時点で作業完了となる。(右写真参照)

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 研究室内の全図書について作業を完了させるには,数人の院生が持ち場を分担し,同時進行で図書を読み上げていくことになる。当然,「ちゅうごく〜」などで始まる書名は大量にのぼるため,各自の担当箇所を早く終わらせるためには,ボックスごとにはりついた学部生をいかに多く同時に獲得できるかが勝負となる。
 また,知っておかねばならない書名や著者名を間違えて読み上げたが最後(その例:呂子春秋→「ろし」春秋,西ウイグル国史の研究→「両」ウイグル国史の研究)後世まで笑いものにされてしまうので,その点でも院生は気が抜けない。
 このような異様な緊張を強いられた結果,院生の声は自然に怒号と化し,研究室は騒然とした雰囲気に包まれるのである。

 このほか,何名かは図書館書庫に入り,一年間で誤配架された図書をもとの位置に戻したり,今後も激増が予想される東洋史購入書籍を新たに配架するためのスペースを作る作業を行なう。春の訪れが予感される3月初めとはいえ,昼なお暗い図書館書庫内での作業には,コートなど厳冬の寒さに対する備えが欠かせない。この作業が「シベリア送り」とも呼ばれるゆえんである。

 3日間のハードな作業を終えた最終日の夕方には,これも恒例の追い出しコンパが開かれる。今年も酒を酌み交わしつつ,研究室を去る卒業生・修了生・ODを送り出した。彼らの新天地での活躍に期待したい。

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■11〜12月の合同演習(97.11.13〜12.4)

 11月13日は博士課程在籍の杉山が研究発表を行なった。11月20日から3週にわたっては,修士2年6名が来年度提出する修士論文の構想発表を行ない,各々の進捗状況が注目された。
 年内の合同演習はこれで終了し,年明け後は1月22日より再開される。


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■瀧(D1)史学会大会で研究発表(97.11.9)

 11月9日,東京大学で開催された第95回史学会大会(東洋史部会)において,本学博士課程在籍の瀧千春が,「Diarium Andreae Ly(『李安徳の日記』)─清代中期中国人司祭のラテン語日記─」と題して研究発表を行なった。要旨は『史学雑誌』近刊号に掲載される予定。
 ちなみに,本研究室所属学生の史学会での研究発表は,一昨年の杉山清彦(現D1)・昨年の
田口宏二朗(現D2)に続いて3年連続である。


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■第2回修論構想発表(97.10.23〜11.6)

 以下の日程で今年度第2回の修士論文構想発表が行なわれた。これで本年度の学位論文提出者の論文相談会・構想発表はすべて終了した。あとは1月の提出にむけて執筆あるのみ,残り2カ月で最後の力をふりしぼってもらいたい。


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■低迷続く東洋史,初戦で完封負け(97.11.3)

 恒例の文学部院生協議会主催ソフトボール大会が,今秋も猪名川河川敷グラウンドで開催された。春季大会で惜しくもビール券を逃したわが東洋史チームは,今大会こそ1992年以来の優勝をめざしたが,なんと初戦敗退に終わった。
 初戦の相手は国文・中文連合チーム。3回までは両者ともに攻めきれず,白熱した投手戦が続いた。しかし4回に,味方の守りのミスからエースT口が打ち込まれるという,何度となく繰り返されたパターンで4点を献上。5年前の黄金時代を築いたV戦士からは留学帰りのO田が出場したものの,N村・M井を欠いた打線にはこのビハインドは大きすぎた。結局,打線がそのまま抑え込まれて,0−5の屈辱的な完封負けを喫し,悄然と猪名川を去ることとなった。
 もちろん最大の敗因としては貧打があげられるのだが,今大会では東洋史愛用のバットやグラブを研究室に置き忘れて持参しないなど,試合以前の段階で意気込み・気合いが足りなかったのではなかろうか。低迷打開には,まずソフトボール大会にかける情熱を取り戻し,カリキュラムの厳しさを乗り越えて練習を積み重ねることが不可欠だろう。
 各選手には,今回の敗戦をバネにして,シーズンオフのトレーニングを積んでもらいたいものである。また現状では,1・2回生諸君にもレギュラー獲得のチャンスは大いにある。新戦力の参加で「ぬるま湯」ムードを払拭することも,チーム再建のカギとなるだろう。

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■ツィーメ教授が来訪(97.10.27)

 古代テュルク語・ウイグル語文献学の世界的権威,ドイツ・ベルリン科学アカデミーのペーター=ツィーメ (Peter Zieme) 教授が当研究室を訪問された。
 ツィーメ教授は10月25日の
京大羽田記念館でのシンポジウム出席のため来日された。多忙な日程をさいての今回の阪大訪問は,ベルリン科学アカデミーが所蔵する中央アジア出土文献に関する森安教授との共同研究の準備や,モンゴル高原の突厥碑文についての情報交換が主な目的。
 阪大訪問は山田信夫教授の在任時期以来20年ぶりだとのことで,共通教育棟などの新築の増加に驚くとともに,20年前と変わらない文学部研究棟に安心したとのお話であった。


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■9〜10月の合同演習(97.9.25〜10.19)

 夏休み明けの2回は博士課程在籍の松井・田口が研究発表を行なった。
 その後2週間の休講をはさみ,卒論を執筆する4回生にとって最後の関門となる第3回相談会が10月18・19日の2日間にわたって行なわれた。


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■濱島教授が『阪大ウォーカー』に登場(97.7.10)

 
阪大生協の発行する情報紙『阪大ウォーカー』第10号の「教授インタビュー」欄に,われらが濱島教授が登場した。中国史研究の醍醐味に加え,香港返還問題などについても熱く語った。同紙の編集後記からも,濱島教授の熱気を感じとっていただけるであろう。
 『阪大ウォーカー』は,生協図書館下食堂などで無料配布されている。


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■森安教授が訪独(97.7.10)

 7月13日からドイツ・ベルリンで開催される国際マニ教学会に出席するとともに,口頭発表を行なう。また学会終了後も引き続きベルリンに滞在し,ベルリン科学アカデミー所蔵の中央アジア出土古文書資料の調査を行なう予定である。


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■第2回卒論相談会(97.7.5-7.6)

 4月に第1回発表を行なった17人に,研究生2名が加わって総勢19人となる予定であったが,2名が脱落して今回も17名となった。
 今年の就職希望組は,就職協定廃止によって就職活動が厳しくなったこともあり,卒論レースでは苦戦を強いられているが,夏休みでの挽回に大いに期待したい。


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■第1回修論構想発表(97.6.19)

 木曜の合同演習において,今年度に修士論文の提出を予定している院生3名が構想発表を行なった。


 夏休み前の合同演習はこれで終了するが,7月5日(土)・6日(日)には,第2回卒業論文相談会が行なわれる。卒業をめざす4回生たちと教官陣との対決が,4月の第1回をさらに上回る長時間にわたって繰り広げられるであろう。


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■5月の合同演習(97.5.8〜5.29)

 新2年生のための入門講座に引き続いて,学部3回生6名が各々関心をもつ研究論文を批評する論文紹介が2週にわたり行なわれた。
 また,修士課程在籍の石川の研究発表は,今春提出した卒業論文に基づくものである。


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■濱島教授が復旦大学顧問教授に(97.5.15)

 復旦大学(上海)は中国における明清史研究の一大拠点であり,本学と交換協定を締結している。本研究室からすでに数名の学生が同大学に留学しており,また同大学副教授の呉松弟先生が日本学術振興会の招聘により本学に来日中である。
 その復旦大学の顧問教授に濱島教授が就任することとなり,5月15日,待兼山会館で催された新入生歓迎コンパの席上で発表され,呉先生から濱島教授に辞令が手渡された。今後とも両大学間の密接な研究交流が期待される。


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■今年も無念〜〜ソフトボール大会〜〜(97.5.1)

 恒例の文学部院生協議会主催ソフトボール大会が,今年も猪名川河川敷グラウンドで開催された。我が東洋史チームは新戦力の2回生に野球部員が加わり,また3,4回生にもスポーツ経験者が揃っていることもあって1992年以来5年ぶりの優勝をめざす布陣が揃ったと思われた。
 しかし,いざフタを空けてみれば,初戦は危なげなく突破したものの,準決勝では,K上先生を温存する英文チームに4回まで完全試合ペースに抑え込まれる大苦戦。最後には自称エースT口が打ち込まれ,またバックの守りにも若さゆえの乱れが出て完敗を喫した。3位決定戦でも考古学チームに敗れ,結局は4位に終わってビール券は獲得できなかった。
 ただし,ビールは飲むが使いものにならないと思われていた4回生のY野やMが実は使えそうなことが判明するなど収穫もあった。また,1991年春〜1992年春にかけての3連覇を経験している2名の老V戦士のうち,N村が論文の追い込みで欠場したものの,M井が3年ぶりに復帰し本塁打を含む5安打で健在ぶりを見せた。来年度には,ペナント奪回にむけての練習時間を考慮してより余裕あるカリキュラムを組むよう,教官陣の慈愛あふれる配慮が期待される。
 なお,現在の東洋史チームのふがいなさを見て,「われこそは東洋史チームの救世主なり」と奮起する有能な1・2年生の諸君には,ぜひとも当研究室に入門していただきたい(ただし単位と卒業の保証はいたしかねます)。


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■第1回卒論相談会(97.4.27)

 4回生の運命を占う第1回卒業論文相談会が4月27日(日)朝9時半から夕方5時までの8時間余にわたって行なわれた。予定されていた18名のうち,16名が無事に(?)第1関門を突破することができた。


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■研究室ガイダンス(97.4.7)

 新年度の始まりを実感させる恒例のガイダンスが行なわれ,履修や研究室利用について説明がなされた。今年度の新加入者は2回生11名・研究生1名と,昨年よりやや微増。3回生6名・4回生21名・大学院生15名,研究生・聴講生計4名とあわせ,学生の総勢は56人となった。
 今後の主な予定および合同演習の日程は以下の通り。

 特に,4月27日の第1回卒論相談会は,史上最多の計20名の4回生が報告を行なう予定であり,おそらくは早朝から深更に及ぶことが予想される。この20名のうち何人が無事に今回の発表を終えることができるか,また何人が最後まで脱落せずに卒論を提出できるか,興味が尽きないところである。
 そのほか詳しくは学生便覧を参照するか,直接
研究室に問い合わせられたい。

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大阪大学大学院・文学研究科・東洋史学研究室