研究室だより(1999.4〜) 

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■松井(OD)海外調査に出発(00.1.8)

 ロシア科学アカデミー東洋学研究所サンクトペテルブルク支所を訪問し,コズロフ将来のカラホト出土モンゴル語・漢文文献を中心に,中央アジア出土文献の原文書調査を行なう。

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■無念,秋季ソフトボール大会雨天中止(99.11.1)

 ドイツより帰国された森安コーチ指導のもと、 悲願の優勝を目指して猛特訓に耐えた東洋史ナインであったが、 前夜からの大雨により、やはり夢は夢に終わった。

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■第二回卒論相談会(99.10.23)

 発表2日前にレジュメ提出が課された第二回目であったが、 その条件を無事にクリアし、当日の発表を迎えたのは現役7名だけであった。 最後の難関を無事通過できた彼らには、是非とも最後まで頑張っていただきたい。

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■松井(OD)「回顧と展望」を担当(99.10.1)

 周知のごとく,『史学雑誌』は例年第5号を「XXXX年の歴史学界──回顧と展望──」と題する特集号としているが,来年刊行の第109編5号では,本研究室ODの松井太が内陸アジア(モンゴル帝国時代以前)分野を担当することとなった。
 担当者は多数の研究文献を収集する必要があるため,今年中に当該分野に関わる論著を発表された研究者の方々のご協力をお願いする次第である。
 詳しくは松井の個人ページを参照されたい。

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■濱島教授,在外研究へ出発(99.9.16)

 約半年間の予定で台湾政治大学へ在外研究に出発する。自身の研究テーマの一つである中国民間信仰についての実地調査や史料収集などを行なう予定。

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■森安教授,在外研究より帰国(99.9.9)

 昨年11月よりロンドン・パリ・ベルリンで文部省派遣による在外研究を行なっていた森安教授が9月9日に帰国した。ヨーロッパ滞在中に培われたパワーでもって,9月以降の指導は厳しさを増すものと予想され,研究室一同,戦々兢々である。

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■二回生漢文合宿(99.8.29〜9.1)

 9月中旬より来年3月まで濱島教授が台湾へ海外出張するため,後期演習の代替として3泊4日の漢文合宿が奈良県にて行われた。浮世から隔離された場所で,朝から晩まで食事と昼寝以外は漢文の講義,夜は親睦を深めるための宴会という充実した合宿となった。

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■張銘心(D1)吐魯番出土文物研究会にて研究発表(99.8.25)

 龍谷大学で開催された第10回吐魯番出土文物研究会大会において,博士課程在籍の張銘心「「義和政変」と「重光復辟」問題の再検討──高昌墓磚を中心として──」と題して研究発表を行なった。要旨は『吐魯番出土文物研究会会報』近刊号に掲載される予定。

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■杉山(D3)国際学会にて研究発表(99.8.10〜12)

 北京で開催された第二回国際満学研討会において,博士課程在籍の杉山清彦が「関於天命・天聡朝的正藍旗」と題して研究発表を行なった。

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■杉山(D3)野尻湖クリルタイにて研究発表(99.7.20〜7.23)

 恒例の野尻湖クリルタイ(日本アルタイ学会)にて,本学博士後期課程の杉山清彦が「八旗旗王制の成立」と題して研究発表を行なった。要旨は来年度の『東洋学報』掲載予定の「野尻湖クリルタイ報告」にて紹介される。

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■(裏)卒論相談会(99.7.7〜7.8)

 今年度の卒論発表会は5月と10月の年2回の予定であったが,院生有志の発案により,(裏)卒論相談会が研究テーマの地域別にそれぞれ分かれて行われた。初日の7日には荒川助教授主催の中央アジア史専攻学生の発表が,8日には院生主体の中国史専攻の発表があり,東南アジア史専攻の学生に対しては,桃木助教授のゼミにて個別指導を行なった。ちなみに発表したのはいずれも現役学生のみで,リトライの人間の動向が気にかかるところである。


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■江太新教授講演会(99.5.29,6.19)

 先日お知らせいたしました,江太新教授(中国社会科学院経済研究所)の二回にわたる講演会が終了いたしました。講演では清代前期中国における土地所有の状況と,これに関する清朝政府の諸政策について,非常に多岐にわたる貴重なお話をいただきました。

 遅ればせながら,講演会のレポートが完成いたしました。こちらをご覧ください。

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■新入生歓迎会(99.5.13)

 今年度は学部2回生6人・博士後期課程5人(内部進学者を除く)を新たに研究室に加え,また客員研究員の金弘吉・江太新・柏樺先生方をお迎えしての盛大な新歓コンパとなるはずであった。だが現実は非情なるもの。欠席者の続出は例年の如くではあったが,主賓たる肝心の2回生の参加はたった2人にとどまった。
 司会のO田(M1)の厳しい突っ込みは挨拶に立つ2回生を苦しめ,さらには祝辞を述べんとするS尻氏に「朗々たる唄」を強要。また非常勤助手のO村女史は御前にてH島教授の物真似を披露するなど,やや荒れた歓迎会となった。

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■第一回卒論相談会(99.5.8〜5.9)

 今年から卒論相談会が従来の年3回から2回に変更され,その第1回目が文学部第一会議室にてさわやかな週末の午前10時から午後4時にわたって行なわれた。
今年度の卒論執筆予定者は14名(現役組が8名,留年組が6名)。そのうち病欠1名と無断欠席2名を除いた11名の発表が行われた。例年の如く教官・院生の容赦無い集中砲火を浴びはしたものの,なんとか耐えきった発表者の表情は安堵感で満ち溢れていた。10月の第二回発表まで長き平穏の日々とはいえ,気を緩めずに鋭意努力していただきたい。

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■復活の兆し,ソフトボール第三位(99.5.1)

 文学部院生協議会主催ソフトボール大会が,今春も猪名川河川敷グラウンドで快晴のもとに開催された。92年以来優勝から遠ざかり,97年秋期より3回連続初戦敗退を繰り返すという悪夢のような結果が続いているが,今期は「自称エース」T口氏最後のマウンドとなるため,是非とも「優勝」を肴に優勝商品ビール券による勝利の美酒を味わいたいところであった。
【1回戦】
 嗚呼なんということであろう,3年連続で考古学と対戦するというこの不運は。去年2度も初戦敗退という辛酸を舐めさせられ,今年も優勝候補の呼び声高いチームだけに,みな代表N村の籤運の悪さを呪うしか無い。だが復活に燃える今期は違うのだ。勝利を目指すT口氏の豪速球は砂塵をあげてミットに収まり,パーフェクトを期待させる力投を見せた。だが中盤に相手が女の子だと舐めてかかった甘い球をレフト前ヒットにされ,エースT口氏さすがに落胆の表情。試合は足がらみの積極的な攻めに徹した東洋史が7-5で初戦をものにした。
【2回戦】
 相手は美学・仏学連合軍。だが,相手エースの好投といきなりの打線の不調に得点を重ねることが出来ず,苦しい展開となった。やはり途中降板したY本Cの不在が大きかったのではなかろうか。連投の疲労によるものか,T口投手も速球が冴えずに5点献上。また終盤にはI山氏が走塁中に負傷し,散々な内容で2-5と敗れた。
【3位決定戦】
 最後の対戦相手は日本史学であった。試合はいきなり初回に,先発M田の大乱調により大量得点を献上してしまう。2回にも2番手投手のN村が2点を失うものの,尻上がりに調子を上げ,以後無失点に押さえ込んで味方の反撃を待った。N村の好投に応えるかのように,4番T口・5番O田(M1)を軸とした繋ぎの攻撃により徐々に点数を重ねていったが,勝敗を決したのは監督Y野氏の一振りであったと言えよう。その一撃はセカンドを強襲し,相手守備の弱点を解明するとともに,その後の1-2塁間を執拗に狙った連続攻撃の起点となった。昨年の横浜ベイスターズを彷彿とさせるような試合展開で,11-9で日本史に鉄槌を下したのであった。
 結果,第3位に終わったものの,今期の成績は東洋史復活への第1歩と言えよう。秋期大会での優勝はもはや確実であり,ナインに期待することろ大である。


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■研究室図書インスぺクション(99.3.5〜3.7)

 われわれの一年は,三月のインスペクションとともに幕を閉じるといっても過言ではない。年に一度研究室の全員が,森安教授を頂点とするピラミッド型の指揮系統に組み込まれ,その中でひとりひとりが東洋史というシステムのなかでのアイデンティティーを確かめ合い,飛び交う怒号のなかで,全員が融合を経験するのだ。
 インスペクションは,おおきく三段階の作戦から成っている。研究室(研究室・第二研究室)置きのあらゆる書籍を,研究室備え付けの蔵書カードと照らし合わせて確認する第一段階。これは,和文中文書・洋書・キリルの三班に分かれてあたる。これが,例年欠かすことなく行われる最重要目標である。工具書・研究書を身体の一部のように熟知しているはずの将校クラス(M.C.)数人が,一斉に四方から書棚の本のタイトルを読み上げてゆき,残りのものが,所蔵カードを分担してめくり,確認,記載の修正などを行う。2日目には,研究室のほとんどの本が確認済みであることを示すために寝かされ,少数の敗残書を残すのみとなる。その後,兵力が割かれ,各教授の御部屋で,種しゅの任務にあたらせる。(第二段階)最後に,読み上げられなかった研究室置きの書のカードをリストアップし,後日の追跡戦に備える。
 今年のインスペクションは,これまでとは違うものとなった。まさしくカガンのように頂点に君臨するはずの森安教授が不在なのだ。空席の玉座には,片山教授がおさまったが,現場指揮では,森安教授の遊牧系のDNAを濃厚に受け継ぐ若き司令塔杉山氏が活躍した。
 また,ことしは,初日から,地方志マイクロフィルム整理班が編成され,東南アジア史班も別働隊として就役した。まさしく遊牧伝統的左右両翼体制が出来せしめられたのであった。
 今年も作業は山積みで,見送られた仕事もあったが,地方志マイクロフィルム整理など,重要な戦果もあげた。また,なんといっても元気溌剌の個性派集団二回生が,初陣とは思えぬ目覚しいはたらきをし,要領をえぬ新米将校(M1)をリードする一幕もみられた。
 例年は,各教授の御部屋や図書館にまで戦線を広げるのだが,今年は図書館の東洋史および漢籍までは手がまわらなかった。来年,図書館は拡張工事の予定である。完工のあかつきには,充分な収納スペースが確保され,われわれの仕事も増えるであろう。

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大阪大学大学院・文学研究科・東洋史学研究室