博士学位論文要旨


近世ベトナム鄭氏政権の成立と展開

 

蓮 田 隆 志

 

『大阪大学大学院文学研究科紀要』47, 2007. 3, pp. 64-65.

 


 

本稿は、ベトナム後期黎朝が再興されてよりの七〇年余り、すなわち前期黎朝を纂奪した莫朝との抗争を経て紅河デルタ地域を回復したのちまで、世紀でいえば一六世紀前半から一七世紀前半にかけての政治史を、黎王朝の支配集団の人的構成の変遷を追うことで明らかにしようとするものである。

 

本稿は本論五章と附章の計六章からなる。第一〜三章においては、各章前半部で主に重要な政治的事件を取り扱い、それを踏まえた上で後半部にて政権の人的構成を検討する。これによってそれぞれの時期ごとの政権構造の特質を解明することを目指す。また第四・五章ではそれぞれ宦官と新興武人一族とに考察対象を絞り、それぞれの特質を抽出することを目指す。附章は第一〜五章までの研究の基礎となる史料、具体的には『大越史記全書』と呼ばれる基本史料の異本を採りあげて書誌学・史料学的検討を加える。

 

第一〜三章での考察を概括すると、@開国功臣という門地が意味を持った草創期から、A血縁と個人的紐帯が重要になった鄭検時代を経て、B個人的紐帯の重要性は変わらぬものの、地域色の強まりを受けて理念の次元で全体を統合しようとした鄭松期前半、C王府などの道具立てを揃えつつ、一族への統兵権分与を柱として、兵権の非世襲化と側近科挙官僚の派遣によってそれを制御する《王府−営体制》を築いた鄭松期後半、という流れが導かれる。

 

第四章では宦官を専論し、国家運営においても他の文武官僚と資格を同じうする王朝国家の正規構成員に近い存在だったと結論した。これは文人と武人との相克を中近世ベトナム史を貫くトレンドと見なす従来の通説に一石を投じるものである。

 

第五章では後期黎朝の特徴を人的側面で象徴する新興武人の一例として良舎ケ氏を採り上げた。一族としての成長は当時の鄭氏政権の体制を反映して、親密だった王子が王位に就くかどうかに大きく左右される可能性が示された。ケ氏は累代の外戚として自己規定し、族結合を強化していったと考えられる。エリート研究が科挙官僚に偏っている研究状況において、武人の具体像を提示した意味は大きいと考える。

 

附章では前近代ベトナム史の最重要史料である『大越史記全書』の異本(A4本およびNVH本)に書誌学的考察を加え、今後よりいっそう活用されるべき重要資料だと結論した。また、NVH本は《鄭松→鄭※■→鄭柞》という継承ラインの正統性を強く主張する一種のプロパガンダのために編纂されたことも明らかになった。

 

以上の考察によって、従来「分裂と戦争の時代」と概括され、殆ど研究されてこなかった一六〜一七世紀ベトナム政治史は、はじめて具体的かつ動態的イメージを獲得した。

 

※■=木偏+壯

 


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