博士学位論文要旨


近代朝鮮をめぐる国際流通の形成過程
―アジア域内市場の中の朝鮮植民地化―

石 川 亮 太


『大阪大学大学院文学研究科紀要』44, 2004.3, pp. 78-79.



 本稿は、開港期(1876〜1910年)朝鮮のアジア域内市場への編入過程について、流通の担い手たるアジア人商人の活動に焦点を置いて分析したものである。
 周知のように、19世紀後半からのアジア諸地域では、主に欧米諸国の圧力によって開港・植民地化を迫られていた。その結果、対欧米貿易のみならずアジア内においても、自由貿易の原則に基づく国際市場が急成長することとなった。そこではアジアの現地政権による国際商業への介入は相対的に限定されており、かつ複数ヶ国にまたがって流通を組織化する巨大な経済主体も未だ成熟していない状況であったから、零細なアジア人商人の国境を越えた多角的な活動とそれによる財貨の移動の集積が、全体としてアジア域内市場のあり方を大きく規定していたということができる。
 1876年以後の朝鮮をめぐる自由貿易の成長も、こうしたアジア域内市場の内部で起きた現象として捉えられるべきである。ところが従来の朝鮮史研究では、開港後に形成された多角的な国際貿易の中から日朝二国間の貿易のみを取り出して分析してきた。そのような視角は、いうまでもなく、1910年の韓国併合という帰結を念等に置いている。しかし上述のような19世紀末のアジア域内市場の性格を考慮すれば、対日貿易の成長は当時において必ずしも自明の過程だったとは言えず、むしろ多様な可能性の中から対日貿易の成長が実現されていった理由こそが問い直されなければならない。
 本稿は、このような問題意識から、日本人・中国人商人を中心とするアジア人商人が形作る広域的・越境的な国際商業網を復元し、その中に朝鮮を位置づけるという接近方法をとることとした。具体的な検討は、以下の4つの事例研究を通じて行われた。
 まず「長崎華商による朝鮮産海産物の輸出と在朝日本人の対応(第2章)」「日清戦争以前における在朝華商の貿易活動(第3章)」では、いずれも開港から日清戦争までの対中国貿易を取り上げた。この時期の対中国貿易は、これまでの研究では対日貿易とトレード・オフの関係にあるものとして捉えられてきた。しかし担い手たる日本人・中国人商人に注目して分析した結果、中朝貿易・日朝貿易のいずれも、必ずしも二国間で完結していたわけではなく、日本開港場で活動する商人とも連携しつつ、広域的な商業活動の一環として行われていたことが明らかとなった。
 続いて「20世紀初頭の咸鏡地方におけるルーブル紙幣の流通(第4章)」「1910年代の間島における朝鮮銀行券の流通(第5章)」では、日清戦争後の時期を取り上げ、朝鮮・中国国境地帯における貨幣流通とその担い手について検討した。この時期の朝鮮・中国では、中央政府・中央銀行による一元的な貨幣管理が実現されておらず、両国の国境地帯では行政的領域によって区切られることなく、商業活動にしたがって越境的な貨幣循環が成立していた。そして1910年に朝鮮が植民地化された後も、そうした貨幣流通の構造は、日本の政策を規定し続けていたことが明らかとなった。
 本稿では、こうした事例的研究を通じ、開港後の朝鮮をめぐる広域的・開放的かつ重層的な市場形成過程の一端を示すことができた。同時に、日本による朝鮮さらに満洲へと至る植民地化の過程が、そうしたアジア域内市場のあり方に少なからず規定されていたことも明らかとなった。このような視点から、日本の「帝国」経済圏の形成過程をアジア史的な現象として再検討することが今後の課題といえよう。


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