博士学位論文要旨

十三〜十四世紀モンゴル語命令文の書式に関する文献学研究

松川 節


『大阪大学大学院文学研究科紀要』39, 1999.3, pp. 125-127.


 十三〜十四世紀のモンゴル時代に皇帝や諸王たちによって発令された命令文は,ユーラシア各地で用いられた様々な言語・文字で残されている。しかしながらそのなかで,統治者の母語であるモンゴル語で記された命令文が占める位置については,従来,過小評価されてきた。本稿はこのモンゴル語命令文を中心に据え,その徹底した文献学的研究を行なったうえで歴史学的考察に及び,「モンゴル的統治理念」や「モンゴル的支配システム」がいかなるものであるかを明らかにしようとするものである。本文は,「はじめに」,第一〜四章,「おわりに」からなり,枚数は約五百枚(四百字詰め換算)である。

 「はじめに」においては,十三〜十四世紀モンゴル語命令文が単なる命令ではなく,モンゴル政権がその帝国領内各地を統治する際の法的根源になったという見通しを提示した。

 第一章「モンゴル時代命令文の分類」では,まずモンゴル時代にユーラシア各地で発令された各種の命令文を,研究史をふまえて概観する。そしてそれらを分類するために「地域」と「伝存形態」という二つの指標を設ける。地域としてはモンゴル帝国の中枢となる大元ウルス(元朝)を対象とし,史料形態としては,もっとも重要性の高い文書原物を中核とし,碑刻を補助とする方針が示される。

 第二章「史料訳註」は,大元ウルスで発令されたモンゴル語命令文として現時点で知られている全三十七件について,史料の写真,テキストのローマ字転写,日本語訳,註を付したものである。この三十七件の史料には,一九九〇年代になって中国のチベット自治区から発見された五件を含む文書原物十三件と,一九八八年に中国河南省登封県の少林寺から新たに発現し,一九九三年に筆者らが世界に先がけて釈読と研究を発表した『少林寺聖旨碑』が含まれており,最新の史料状況を反映したものになっている。

 第三章「大元ウルス命令文の書式」では,大元ウルス時代に発令されたあらゆる形式の命令文を仔細に考察し,あわせてその雛形,枠組みを提示することによって,「大元ウルス書式」とはどのようなものであるかを具体的に定義づけた。その分析の結果,大元ウルス命令文によって体現されている「モンゴル的統治理念」を抽出することができた。すなわち,(一) 今まで碑刻や編纂史料のみを使って行なわれてきた書式研究に対して,あくまでも文書原物を中心にして分析することにより,命令文内部における「改行形式」が権威の序列付けを意味していることを指摘し,(二) 命令文の「冒頭定型句」と名付けられた定式が,実は,皇帝を頂点とする大元ウルスにおける権威の序列を示しており,(三) さらにその皇帝の権威は,唯一無二の「とこしえの天」と,チンギスに始まる歴代のモンゴル皇帝のカリスマ性という二段構えによって,はじめて正統とみなされることを明らかにした。

 第四章「大元ウルス書式の成立過程」では,大元ウルスの成立から時代を遡り,チンギスをはじめとするモンゴルの歴代皇帝が,いかなる統治システムを運用していたのかを検討し,チンギス〜クビライまでのモンゴル皇帝官房における文書行政の実態を示す史料を逐一提示し,命令文の書式がモンゴル内部で生成されていく過程を考証した。その結果として,チンギス=カンを始めとする歴代モンゴル皇帝が,その配下にウイグル・契丹・女真・漢など,様々な文化的背景を持つ者を加え,各々の伝統に則った文書行政を試行させた中から,最終的に大元ウルス書式が成立したことを明らかにした。

 「おわりに」では,以上のまとめと今後の展望が示される。十三〜十四世紀モンゴル語命令文は,「成文法を持たない,慣習法中心の法体系」によるモンゴル的統治システムが具体的に実現された場そのものであり,このシステムに則る命令文は,初めは口頭によって伝達されたのに,徐々に文書による方式に変わり,クビライ即位後の大元ウルスでは,その書式さえ定型化していったのであった。本研究は,こうしたモンゴル的統治システムが,モンゴル帝国をひとつの統一体として存在させる原動力になり得たという壮大な仮説を検証するための第一歩なのである。



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