平成十四年度博士学位論文要旨


河西帰義軍節度使政権の文書処理システム

坂 尻 彰 宏


『大阪大学大学院文学研究科紀要』44, 2004.3, pp.81-83.


 九世紀半ば、敦煌を中心に成立した河西帰義軍節度使政権は、九世紀から一一世紀におよぶ内陸アジア世界の変動を読み解くうえで重要な位置を占めている。なぜなら、帰義軍政権は敦煌文書により政権の具体的な姿を描き出すことができる希有な事例であるからである。そして、近年の史料状況の好転に伴い、帰義軍政権の官制や行政機関に関する論考が相次ぎ、帰義軍政権研究は一つの転機を迎えている。
 しかしながら、なお解決すべき課題は多い。まず、文書の形態・書式・機能の面で精密な分析と史料批判とを一層積み重ねていく必要がある。また、分析対象を非漢文文書に広げ、多角的に帰義軍政権の実態を捉えていく姿勢が求められる。さらに、政権運営の実情を示す文書処理の流れを解明することも大きな課題である。
 そこで、本稿では、古文書学的分析方法を活用し、帰義軍時代のチベット文文書をも史料としてとりこみ、帰義軍政権の文書処理システムを再構築することを目指した。以下、章をおって内容を要約する。

 「1 敦煌牓文書考」 敦煌文献の中には牓と呼ばれるいくつかの漢文文書が存在する。従来、牓に関しては先行研究に言及はあるものの、その書式や機能が十分に明らかになっているとは言い難い。そこで、本章ではS八五一六A+Cを取り上げ分析を加えた。
 その結果、まず、本文書が節度使から帰義軍領内の全領民に出された新たな鎮への移住者の公募であることが確定した。次に、牓文書はその書式として帖の書式を用いており、「牓」の文字が書式を指定するのではなく、文書を「掲示する」ことを意味することを指摘した。さらに牓文書が機能的には張り紙そのものであることを明確に示すことができた。

 「2 判憑文書と文書処理過程」 敦煌文献の中には帰義軍政権の財務管理に使用された「判憑文書」と総称しうる文書群がある。従来、判憑文書の利用はその内容を参照する段階に止まっており、書式や機能に対する分析は全く為されていない。そこで、本章では判憑文書を一つの文書群として扱い、その形態・書式・機能に焦点をあてて分析し、帰義軍政府内で行われた文書処理と行政事務との過程を再現することを目指した。
 まず、文書群全体の形態・書式上の特徴を分析した結果、判憑文書は(1)作成、(2)判辞の記入、(3)連接、(4)廃棄の一連の処理を受けていることが判明した。次に、文書機能の変遷について考察を加えた。その結果、判憑文書は(1)作成、(2)判辞の記入の段階では物品の支出等の事後報告とそれに対する節度使の承認を示す機能を有しており、(3)連接、(4)廃棄の段階では、支出簿の役割を果たしていることが明らかになった。最後に、以上の分析をもとに支出等の報告、承認、点検と続く事務処理の流れを再現することができた。

 「3 帰義軍時代のチベット文牧畜関係文書」 吐蕃支配時代以降の帰義軍時代に作成されたチベット語文献はチベット語文献史上の重要な史料群として注目を集めている。しかし、その一方でこれらの文献は帰義軍時代の歴史史料として充分に活用されていない。そこで、本章では帰義軍時代に作成されたチベット文文書PT一一二四を取りあげ、漢文文書と比較しつつ分析を行った。
 その結果、PT一一二四は、チベット文文書の下達文書書式を保持しつつ、同時に漢文下達文書の押印方法を採用しており、チベット文的要素と漢文的要素とが文書を下達するという機能を軸に混在していることが明らかになった。また、 本文書が、節度使が鎮の駐在官たちに牧畜管理の徹底を求めた命令文書であることを論証することができた。さらに、本文書を手がかりにすることで、帰義軍政権下における鎮の駐在官たちが牧畜に深く関わっていることが判明した。

 以上、節度使から領民に下された牓文書と節度使政府内で処理された判憑文書とを詳細に分析することで、帰義軍政権の文書処理システムの一端を明らかにすることができた。また、帰義軍時代のチベット文牧畜関係文書の分析により、当該政権の文書処理システムにおける多言語性を指摘することができた。


Copyright@SAKAJIRI, Akihiro