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この掲示板は、当サイトの昔の掲示板です。すでに壊れて消失しましたが、2002年10月末〜2003年5月12日までの記録が部分的にありましたので、ここに載せておきます。懐かしいものです。張谷源さん、学所さん、Paul Wellerさん、大知さん、どうもありがとうございました。 ホームページ 今の掲示板 |
ありがとうございます。こういう風にいろいろご教示いただくと、ほんとにサイト作ってて良かった、と幸福感を感じます。Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1)/
>超越論的言語論が歴史学でももて囃される(?)昨今、確かに難しい問題です。
私の大学教養学部時代の第一の愛読書はウィトゲンシュタインの『論理哲学論稿』でした。論理式は分かりませんでしたが、その世界観が自分の世界観になってしまった。ちなみに第二の愛読書はホフシュタッターという人の書いた、『ゲーデル・エッシャー・バッハ』。こちらは、今でも読んでる人は多いのでしょうか、私の時代だけの流行だったのでしょうか。
ご提示の疑問bに関連して、経済史というところからは離れた話題になりますが、日本でポストモダニズムが云々されだして、すでに7,8年経つと思います。たとえば、史学雑誌の小田中論文は、多くの人が読んでいる。だからといって、研究スタイルが変化した、という人は滅多にいないでしょう。ただ、中国史・中文関連では唐澤靖彦の判語関連論文、それから笠井直美「〈われわれ〉の境界ー岳飛故事の通俗文藝の言説における国家と民族」(上)・(下)『名古屋大学言語文化部・国際言語文化研究科言語文化論集』23-2、24-1,2002は、充分に方法論的にポモ的批判に耐えうる作品と思います。
>経済学への「主観」の組み込みに関しては、杉下栄一がケンブリッジ学派・マルク
>ス経済学を祖述した下りで問題になっていますが、要領を得ません
むむむ、私は勉強不足で、何の話か、よく分かりません。杉下栄一氏という人のどういう本を読めば良いのでしょうか。
結論として、bに関して、私はコメントすべき知識にあまりにも欠けています。私としても、経済史が可能なのか、史料の書き手が意識しないことを、我々が如何に研究できるのか、そうしたアポリアを一番意識している研究者として、どのような人がいるのか。Paulさんでも、どなたでも結構です。広くヒントを求めます。
>a.漢籍史料中の数値は信頼できない、というもの。
偶然、ちょうどこの前の水曜日に、私のゼミで宋代の戸口統計(特に口数)の信頼性についてやったのです。その日の史料については、ある程度指標としては参考にできる場合が多い、という姿勢で取り組もう、という授業をしました。
>近現代以降の中国官製統計にも言える問題ですし、
現代の中国の出してくる様々な数字を見てれば、ほんとに分かりますね。天気予報の気温だって、ウソが入ってるんですよ。戦前のイラクでも同じだそうですが。
私は先生ほど、西欧経済史を深くやってないのですが、最高度に数字重視の経済史というと、アメリカのNEHと思っているのですが、正しいでしょうか。60-70年代のフォーゲルとかの。Postan, Wrigley(Wが要ったと思います),それから最近のグライフなど、おそらくその発想法が経済学的ということで評価されてる、つまり必ずしも統計や式から出した結論そのものが専ら評価の対象というわけではない、と理解しているのですが、いかがでしょうか。
たしか、Chinese History in Economic Perspective のpreface(T. Rawskiが書いたんだと記憶してますが)は、経済学的発想の経済史というものが重要だって主張だと思うんです。数字そのものが当てにならないのは前提として。
ただ一方、岸本氏の十八番の物価もそうですが、文書を扱っていくと、編纂された数値ではない、ナマの数値が出てくる。地価など。それはかなり、中国史としては数字として使える部類とは言えないでしょうか。
>もし管理者がご存知でしたら是非ご教示頂きたく存じます。
すみません、こちらからご教示頂きたいことばかりで。
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お返事有り難く存じます。Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows 98; Win 9x 4.90)/
> それから、この「史実」が存在するのか否か、...研究やっている現場でも、教育の場でも、可成り面倒なことになっています。...だから、彼らの性格はわかるが、事実についてはなんら分からない。そういうことになってくるのでしょうか。
超越論的言語論が歴史学でももて囃される(?)昨今、確かに難しい問題です。
経済学に引きつけて言えば、例えば「中国史では経済史研究などできない」という命題にはいくつかインプリケーションがあって、
a.漢籍史料中の数値は信頼できない、というもの。
ただ、これはT.Rawskiの指摘を待つまでもなく、近現代以降の中国官製統計にも言える問題ですし、PostanからRigleyに至る西欧経済史研究もそんなに特権化できるわけではないと思います(確かに教区簿冊は凄い史料群ですが)。また、GreifやWeingastの研究を見ても、数値史料が決定的な材料とは言えませんし。
b.上のaとも関連するのですが、そもそも経済史という学問分野自体が成り立たない、という考え方。
1秒前に生起した事象の存否を「実証」するのは原理上不可能だ、という極端な物言いもありますが、このでんで行けば、観察者の主観に依存しない「無色透明な」諸データの関連性を解きほぐす経済学と、依存しまくる「史料」に立脚せざるを得ない「歴史学」とは本来相容れない、と見なすのも可能かも知れません。
経済学への「主観」の組み込みに関しては、杉下栄一がケンブリッジ学派・マルクス経済学を祖述した下りで問題になっていますが、要領を得ません(私の頭が悪いだけか)。
このあたりのアポリアは既に誰かの議論で既にクリアされているのでしょうか?もし管理者がご存知でしたら是非ご教示頂きたく存じます。
時事ネタはやめようと思いつつ、またしてもとても身近な報道に接してしまいました。Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; ja-JP; rv:1.0.1) Gecko/20020823 Netscape/7.0/
岡山市と中国洛陽市は姉妹都市関係にあります。そして先月、新たに台湾の新竹市とも、姉妹都市関係を結ぶことになりました。
ところが2日の時事通信によると、台湾の新竹市と友好協定を取り交わした翌日、新竹市長の署名の肩書きの一部に「中華民国」の語がとあったとして、中国側が洛陽市と岡山市との友好都市関係の凍結を岡山市に通告してきましたのです。
岡山市は「両市長がそれぞれの判断と責任で署名した」と反論し、萩原市長は「驚き大変残念」とコメント、今後とも両方の市との友好関係を維持したいとの考えを変えていません。
またしても、「一つの中国」問題です。
私は以前、岡山大学の教員として、何人かの学生を洛陽留学に送り出してきました。彼らにとって、大変よい勉強になりました。洛陽には、感謝の気持ちを持っています。
また私は新竹にも、特別な思い入れがあります。祖母が新竹育ちで、よく日本植民地時代の新竹の話を聞いたのです。ビーフンも好きですし。
岡山大OBとして、新竹とも洛陽とも、良い関係を結んでもらいたいと、心から思います。洛陽も好き。新竹も好き。岡山も好き。それで何がいけないのでしょう。本当に残念なことです。
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>?@新たな史実の「発見」 ?A新たな「理解」の仕方の提示、という二つのやり方があると思います。Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; ja-JP; rv:1.0.1) Gecko/20020823 Netscape/7.0/
それから、この「史実」が存在するのか否か、研究やっている現場でも、教育の場でも、可成り面倒なことになっています。現実には、ある人物がこう言った、という記録があっても、それを信じるわけには行きませんし、またその人物の位置づけさえなんら頼るべき史料がない場合が少なくないー例えば、宋元代の多くの人々の思想を、彼ら本来の思想でなく、『宋元学案』の解釈によってしまっている、ということがしばしばです。
では何が言えるのか。まだ、活字に出来るほどの定見を持っていないのです。例えば思想史をやっている人は、朱熹や王陽明を読むことで、彼らと直接話し合える程の近さで、彼らの思考を理解することができる。だが、彼らが嘘つきであることは十分考えられる。だから、彼らの性格はわかるが、事実についてはなんら分からない。そういうことになってくるのでしょうか。
>管理者のお立場に完全に同意いたします。文章中に明示するにせよしないにせよ、我々は「理解する」「実証」するという営為そのものに内在する問題性に、もっと畏れの念を抱くべきなのでしょう。
すごくうれしい言葉です。
政治家が戦争をする決定をする、証券会社の営業マンが、他人の財産を大きく動かす。歴史家が無責任なことを言った場合、例えばそれが政治に結びついて人に迷惑をかけることはあるかもしれませんが、特に古い時代の場合にはそういう恐れは少なくなりますよね。でも……仰るとおりだと思うんです。
ところで、ここ数ヶ月かけて、スズメの涙ほどの自由時間に、少しずつリニューアルしてきたトップのページを、やっとアップしました。言語別をやめて、目的別に編集しなおしたのです。このHP,とにかく学生や研究者に、使い倒してもらいたいと思うのです。去年は卒論で、ネットで簡単に分かるはずの文献を見ていない学生がいました。......許すまじ。
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