シルクロード史観論争について

 護雅夫・東大教授と間野英二・京大教授に始まり,私が恩師の護教授を引き継いだ形のいわゆる「シルクロード史観論争」について,インターネット上では誤った情報も流れているようです.護の間野批判については,護『草原とオアシスの人々』(人間の世界歴史 7,三省堂,1984)を,間野による森安『シルクロードと唐帝国』批判への簡単な反論については,森安「内陸アジア史研究の新潮流と世界史教育現場への提言」(『内陸アジア史研究』26, 2011, pp. 3-34)の11ページ,脚注19を御覧ください(リンク先参照).さらに最新著『東西ウイグルと中央ユーラシア』(名古屋大学出版会,2015年2月)の序文とあとがきまで御覧頂ければ幸いです.

 なお,これに関連して付言すれば,狭義の中央アジア(東西トルキスタン)にとって重要だったのは農業か商業かという問題は,そもそも問題の立て方がまちがっているということです.同僚の桃木至朗教授(東南アジア史)からかつて頂いた次のコメントを御覧ください.

 「東南アジアの港市国家論も,かつては貿易一本槍で農業を無視していたのですが,現在では,一部の例外を除いてたいていの国家で農民が多数であることを認めつつ,「しかし農業が国家を生んだとは言えず,国家権力を必要としたのは貿易だ」「農業社会の発展も内在的発展でなく貿易の刺激によっておこっている」などの論点を深めています.東南アジアの強みは大航海時代以降に,「西洋人の目の前で貿易によって国家が生まれていく」様子が詳しく記録されていることです.結果として,農業生態論の本場である東南アジアで交易国家論が重視され続けているのは,論理的なレベルアップに成功したためです.」

 さらに,以前の「森安通信」でも紹介したことのある小林道憲『文明の交流史観──日本文明のなかの世界文明──』(ミネルヴァ書房,2006年,p. 309)には,次のようにあります.

 「しかし,この都市文明の成立の条件として,単なる集約農業の発達に伴う余剰農産物の発生という条件だけでは不十分である.それらの余剰農産物を他の商品と交換する市場が立たなければならない.逆に言えば,農業生産に必ずしも適していない立地条件でも,交換に便利のよい地理的条件が整っていれば,市場は立ち,都市は形成される.・・・四大文明といわれるものも,都市と都市が緊密に結びついた都市文明であった.」

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