他者との共生

-- 『フッサール間主観性の現象学』の刊行に寄せて --

浜渦 辰二(静岡大学人文学部)

(注記: これは、『創文』No.366[創文社、1995年6月発行]に掲載されたものです。)

 和而不同 -- 月並みな言葉であるが、昔から、わたしのこころのなかに残って来ている言葉である。いま正確には思い出せないが、中学生の頃、朝礼の時間に校長先生がしてくれた話のなかで初めて聞いたのだったろうか。この言葉を使って、話された内容はおよそこうであった。 -- 友達を作ることは大切だが、友達との付き合いで自分を見失ってはいけない。友達との付き合いに流されてしまうのは簡単だし、それを嫌って、孤独に閉じ籠もるのもこれまた簡単だ。難しいのは、友達と付き合いながらも、それに流されず、自分を見失わないことである。 -- この「道徳的な訓戒」がなぜか、わたしのこころに滲み込み、これはほとんどわたし自身の「戒律」ともなってきたように思う。

 「和」することはあっても「同」ずることなかれ、あるいは、「和」するからといって「同」ずる必要はない。逆に言えば、「同」ずることがないといえども「和」することはできる、とも言えようか。いま、この少年期からこころに残ってきた「訓戒」が、わたしのなかで別の装いをもって再登場して来ている。すなわち、「他者との共生」という問題としてである。いま、とりわけ、ソ連邦の解体、東欧革命、東西冷戦後の状況のなかで、民族主義、エスノナショナリズムの嵐が吹きすさぶなか、また、これまで差別・抑圧されてきた先住民、被差別民、精神的・身体的な障碍者・弱者、等々の権利復権が叫ばれるなか、異質なものをどう理解し受け入れることができるのかという、「他者との共生」というテーマがさまざまな形で現れてきている。わたしのなかで、基本的にはあの問題と同じだったのではないか、という思いがしているのである。

 こういう周囲の状況を横目で見ながら、わたしはこの十年ばかり、フッサールの間主観性の現象学についての研究を進めて来た。そして、しばしば独我論の罠に陥っているとか、近世哲学的な主観主義から抜け出ていないとか評されるフッサールの議論を追跡しているうちに、どうもフッサールのなかにあったのも、この同じテーマだったのではないか、という気がして来ている。もちろん、「和而不同」という中国古典的な表現も、「他者との共生」という現代風な表現も彼のなかにあったわけではない。しかし、「哲学的孤独」(『危機』書)の必要性を説き、「インガルデン君、哲学は徒党を組んでやるものではないよ」(『フッサール書簡集1915-1938 』)と言う一方で、哲学の活動を初めから「コミュニケーション的」なものとみなし、「哲学は私的な事柄ではなく、哲学者達の作業共同体においてのみ無限の前進において実現されることができる」(『危機』書)と述べ、共同研究者をどんどん失いながらも共同研究を最後まで夢見ていたフッサールの姿を見るとき、彼の思索にそういうテーマを読み取るのは、決して我田引水とは思えないのである。

 フッサールの他者論・間主観性論には、一方では、自他の等根源性が見失われているという批判が向けられ、他方では、他者の他者性が見失われているという批判が向けられてきた。しかし、このような批判が拠り所としているものを見ていくと、一方で、自他の等根源性の主張は他者の他者性を排除し、無差別的な「共生」の主張に導きかねないし、他方で、他者の他者性の主張は自他の等根源性を否定し、「他者」を不可解で接近不可能なものにしかねない。このように二つの主張が二者択一的なものになりがちなのに対して、フッサールは両者のうちの一方を捨てて他方を取るということをしなかった。むしろ、二つのことが両立するところにしか、他者経験や他者理解ということはありえない、と考えていたように思われる。彼にとって、「他者」を異・他なる者として捉えつつ、まさにそのような他者をいかに理解し、そのような他者といかに「共生」することができるか、それが根底に流れているテーマであるように思われるのである。

 そして、このような通奏低音のなかで、わたしの研究においてますます浮かび上がって来たのは、〈地平としての他者〉というアイデアであった。他者に面と向かって、他者を対象化することは、他者の他者性を剥ぎ取ることになる。むしろ、対象化して行けば行くほど、どんどん背後に退いていって捉えられなくなってしまうところにこそ、他者の他者たるゆえんがある。それはちょうど、わたしたちが或る対象を捉えるとき、それと同時にその背景に地平をすでに(対象とは異なる仕方で)捉えているのに、この地平を対象として捉えようとすると、それはわたしたちの手をすり抜けて、ますます背後へ退いていくのと同様である。〈対象としての他者〉とは、退いていってしまった他者の痕跡にすぎず、その意味において、他者との出会いは、他者を面と向かって対象化するところにではなく、むしろ、地平において現れている他者を横目で垣間見ながら、〈地平としての他者〉を感じとるところにあると言えよう。

 これは、「他者知覚は、自己知覚がそこに際立ってくる地のようなものです」(『意識と言語の獲得』)と述べるメルロ=ポンティが考えていたことでもあった。彼によれば、「他者はけっして正面から現れてこない」(『世界の散文』)のであり、「他者は……私のがわに、私のかたわらに、私の背後にいる」(同)のである。「他者が私の知覚のうちにすべりこんでくるとしても、それは背後から」であるが、同時に、「私がおのれの世界把握についてなす経験こそ、……私がもう一つの世界把握を認め、もう一人の私自身を知覚することを可能にしてくれる当のものなのである」(同)。こうしたメルロ=ポンティの議論は、まさにフッサールが準備していたものではなかっただろうか。

 フッサールにとっても、他者は、わたしたちの自己経験や世界経験のなかに言わば初めから巣くっているのである。しかし、このように言うことは他者を自己経験のうちに取り込んでしまうものだ、と考えてはならない。その意味では、他者はあくまでも自己のうちには収まらないもの、自己を越えるもの、自己にとっては異質なものであり、まったく異なる世界了解をもって私の世界了解を根本的に変容させ、組み換えを迫るものとして現れるのである。もう一度言えば、そのような他者性をもった他者がわたしたちの自己経験・世界経験のなかに住み着いていて、むしろ、そのような他者経験をうちに宿すことによってこそわたしたちの自己経験・世界経験も成り立っている、ということなのである。それがフッサールの言わんとすることだった、と言ったら言い過ぎであろうか。しかし、さんざん批判されてきたフッサール間主観性の現象学のなかに、それでも棄ててしまえない何かがあるとしたら、このようなところにあるのではないか、とわたしはいま考えている。

 わたしのフッサール論には、慎重な議論をしているようでいて、少し読み込み過ぎがあると言われれば、それを否定しようとは思わない。しかし、単に彼の議論を紹介したり祖述したりするのではなく、また、単にそれを戯画化して批判してみせるのではなく、その棄てがたい何かを抉り出そうとするならば、或る程度の冒険を辞さない覚悟は必要であろう。これからのわたしの仕事は、一方では、それをもっと大胆な冒険へと発展させることであるが、他方では逆に、これまでの議論が残してきた穴を埋めていくことであろう。後者の作業のためには、テキストのより詳細な分析が必要となるが、この作業に役立ってくれるはずの仕事をこのかん準備してきたので、最後にそれに触れておきたい。

 昨(平成六)年度の文部省科学研究費研究成果公開促進費(データベース)の援助を受けて、フッサール・データベース作成委員会(代表筆者のほか、谷徹、貫成人、榊原哲也の三氏を共同研究者とする)によって、フッサール・データベース(とりあえず、フッサーリアーナ五卷分)が構築され、このたび公開される運びとなった。その詳細については別稿(「フッサール・データベースについて」、静岡大学人文学部紀要『人文論集』四六号の一、一九九五年七月発行予定)で紹介するが、とりあえず早く見てみたいと思われる方は、インターネットに繋がっているパソコンが手元にあり、電子メール・アドレスをお持ちであれば(それ以外には無登録・無料で利用可能)、ftp を使って ftp.ipc.shizuoka.ac.jpにログインしていただければ、pubというディレクトリーの中にHUA というディレクトリー名で登録されているので、まずは、そのなかの readme.doc 等を getして、お読みいただきたい。

 本当なら、このフッサール・データベースの仕事を先に済ませ、そのデータを利用して拙著を完成させたかったが、そうしているとまとめられなくなる危惧もあり、断念せざるを得なかった。いまはこのフッサール・データベースを利用して拙著の全体に手を入れたいという気持ちはやまやまであるが、それはおそらく根本的に書き改めることになり、結局は、まったく新しい作品として実を結ぶことになろう。いずれにせよ、拙著を踏み越えていく道がこのフッサール・データベースのなかに隠されていることは確かである。それを歩むのがわたし自身であるか、ほかの誰かであるかはともかくとして。


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